幸せ学 第31回 完璧などないことを知る
なんか最近、生きづらい雰囲気がある。コロナでのマスク警察、不倫を絶対によしとしない風潮、コンプライアンスを守ろう、などなど、なんというか清く正しく美しく、品行方正に生きなければならない、という空気がそこかしこに漂っている。
日本人は特に空気を読むことに美徳をもち、空気を読まなければならない、という民族だから、その真面目さは無意識に刷り込まれる。
わたしは昭和生まれで昭和の時代に青年期を過ごしてきたんだけど、部活動で水を飲んではいけない世代だった。日本全国、どの部活動もそうしていたと思う。水を飲むとバテる、水を飲むのは甘えだ、我慢することでハングリー精神が育つんだ、という考えを、当時の大人たちは疑うことなく子供たちに押し付けていた。
それは令和の今の価値観とは真逆で、その時代に苦しんでいた我々世代は多少なりともその理不尽さに怒りを感じているんだが、当時の大人は「そんな時代だったよね、いや、わたしが子供の時代はもっと飢えてて辛くて・・・あんたは恵まれてるわよ」なんてまともに反省することは全くないだろう。
そんな風に、事実、「正しさ」は時代によって大きく変わる。(地域によっても変わる)
諸行無常。万物全てつねに流転し、同じ状態を保ち続けるものなどない。
わたしもあなたも、日本人が好きな「空気」も、刻々と変わり続けている。
だから、いわゆる一般的な「完璧」など存在しないのだ。
変わり続けることが必然なんだから。逆に言うと、完璧でないことが完璧なのである。
それなのに、完璧にやらなければ!と思っちゃって苦しんじゃったりしてないだろうか。
悩んで苦しい時、どうしたらいいんだろう?何が正しいんだろう?とよそに正しさを求めて思考停止してないだろうか。
世の中の正しさなんて、例えばいまの清く正しく美しくという風潮みたいになものはあると思うんだけど、そんなのは一時的なものだろう。変わっていくものだ。水飲んだらダメ、のように。
それに従って生きるのは考えなくていいから楽なんだけど、真実ではない可能性が十分にある。
まわりが言うから。
わたしはバカで考えられないから。
そうやって思考停止しているとしたら、やめにしませんか。
他人軸。他人の価値観、世間の風潮に合わせ「なきゃいけない」ということはないんだよ。必ず自分軸、自分の感覚も確認しながらよ。
そうじゃないと、他人に振り回されて、結局誰も本気で自分のことなんて考えてくれてなくて、気がついた時にはめちゃくちゃ時間が経っちゃってもう悲しいけどどうしようもない、でも誰も責任とってくれなくて泣き寝入りするしかない、なんてことになる。
一方で自分軸が過ぎて、周りとあってないと、それはそれで思うようには生きられないだろう。空気全く読めない人ね。
類友の法則で、居心地悪くなった人は去っていく。もしくは同じ環境にいるけど、恨まれ続けることになるだろう。
世間の風潮、相手の気持ち、自分自身の感覚を認識したうえで、その時々の最適解をみつける。
もちろん、自分を1番大事にした上でね。
それがわたしが思う完璧です。
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