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信念体系のレベルアップと解除講座

術の発動に必要なもの

僕が肩書きにしている解除師の「解除(げじょ)」は、邪気や穢れを取り除くということ。
邪気や穢れといったものは、目には見えないものですが、確かに存在しており、それを取り除くためには、技術、いわゆる「術」が必要になってきます。
この術は、決して僕だけが使うというものではなく、宗教的なものはもちろん、魔術などでも基本的な技法として伝えられているものです。
ただ、その発動するためのシステムというのは、その人の信念体系によって変わってきます。

信念体系と呪術的思考

このあたり、先日、Twitterで古川先生が以下のようなTweetをされていて、非常に共感することができました。このnoteを書いているのも、このTweetがあったからといっても過言ではないでしょう。

信仰不要の祓というのは実はあり得なくて それは祓を要するというのが呪術信仰があってのことで 呪術信仰がなければ穢れも祓も無いということになる 信仰不要の祓とは宗教団体に属したりする一定の宗教への信仰が不要であるだけで 呪術的思考とか魔術的思考とも言い換えても同じで 呪術信仰は必要
それは
システムを利用する
あるいは
システムを熟知して活用するのであって
私のスタンスもそれに近いし
だからこそ信仰がなくても祓はできるという事自体は間違いではない
ただしそれはある意味では精神的な救いが無い道なので、普通の人にそれが耐えられるかどうか
陰陽師も浄土信仰を持つ事の意味

(C)古川陽明


呪術的思考というのは、解除の場合でいうと穢れや邪気が存在すると信じていることであり、それを取り除く方法があると信じていることです。
古代においては、こういった呪術的思考は一般的であり、古代の宗教にはこういった要素が多分に含まれていたわけです。
これが全くない人、完全に現実主義の人の場合は、術を行使することはできません。
つまり、最低限目には見えないものが、この世にあることを信じていなければいけないということです。
神仏への信仰がなかったとしても、術は行使できますが、完全に目には見えないものを信じていない人は、術は行使できません。
そういった呪術的思考が土台にあった上で、自分自身の信念体系が構築されるわけです。

信念体系のレベルアップ

このように信念体系というのは、術を行使する上で必須ではあるのですが、決して普遍のものではありません。
色々な技術を学んでいく中で、自分にぴったりのものを見つけていくものであり、一度構築されたと思った信念体系が壊されるということもよくあるのです。
例えば、僕の場合は、気功→西洋魔術というように最初学んでいました。
西洋魔術はシステマチックなようでふわっとしたところがあるのですが、クロウリーの言葉などを読んで学びながら、途中で師匠がなぜか密教へと転向した時点で学びをやめることになりました。

今の僕ならば、西洋魔術と密教の共通点もわかりますし、密教といっても正当派というよりも、エネルギーの動きを重要視するちょっと変わった手法だったので、かなり性に合ってはいたと思うのですが、今でもそうですが、神仏といったものリアルに感じられないということもあり、そちらの学びはしなかったわけです。

ここで、一度西洋魔術的な信念体系が崩れ去ったわけですが、気功の延長線上にあるような術を学び始めます。
ただ、この時点では神仏や天使、悪魔といった存在にたいして、今よりも価値をおいていたように思います。
この術は、理論的な部分が薄かったために、色々と技法を探求するようになり、西洋のヒーリングを学びました。
このあたりになると、ほぼ技術ではあるのですが、どうしても西洋系ヒーリングはスピリチュアリズムが強いので、ハイヤーセルフや宇宙の存在といったものがでてきて、そのあたりもピンとこなかったものの、そういった存在をすべて包括して捉えるような目線がでてきたように思います。

ただ、この時点では自分の中で確固とした理論があったわけではなく、今のようによりエッセンスを抽出できるようになったのは、古くから伝わるとある術を学んだことがきっかけです。
西洋魔術のあとに学んだ術の、源流ともいえる術は宗教的なエッセンスも、スピリチュアルのエッセンスも排除したものでしたが、システム的なものを好む自分にはぴったりだったのです。

このように、色々な技法を学んで信念体系を構築しては壊していくに従って、色々と自分の中で成長があり、レベルアップしていって、今では「解除」という形で、邪気や穢れを取り除くことに特化したものを教えたり、護符を作っているわけです。

しかし、システムに特化してしまうと、わかりやすく伝えることができて、どんな人でも使えるようになる反面、大きなデメリットも発生します。

救いのなさと自我肥大

上記で引用したように、術の世界で信仰が必要な理由として、システムだけを追い求めると、現世的なご利益などは少なくなり、また、神仏といった大いなるものを設定しないと、追い込まれた時に助けて貰う存在、すがる存在がなくなってしまうということがおきてきます。これは、システムだけに信念体系を向ければ向けるほど、不可避で生じる現象といえるでしょう。

もうひとつが、自我肥大です。神仏を信仰しないということは、自分がそれよりも優れた存在であり、世界唯一と考えがちということです。
自分は宇宙であり世界であるというのは、ある意味真理ではありますが、それを取り間違えると、誤った全知全能感に支配されてしまいます。
神との一体化といった儀式が多い西洋魔術だと、これにはまる人が多く、人間的におかしくなっていきます。

目には見えない世界にアプローチするわけですから、そういった意味でも信仰というのは、安全弁として機能している部分もあるといえるでしょう。

解除というシステム

解除初級講座と、それを学んだ人のために、人型を使った解除応用という結界構築と、穢れを取り除く講座を考えていますが、これらはシステム重視でありながらも、上記のデメリットにはあまり影響されないようになっています。

なぜかというと、普遍的な道具やエネルギーを使ったものであり、それらはある意味、色々な宗教や術でも一部採用されているものも多くあるからです。ですので、邪気や穢れを除くという基本を身につけた上で、自分の信念体系や術に活かしてもらうことができるわけです。

これ以上になると、僕のようにそもそも神仏や高次の存在にリアリティを感じられず、それよりも森羅万象の力として捉える方がリアリティがあるようなタイプで、なおかつ、ご利益などを求めずに、とにかく邪気や穢れといったネガティブなものを取り除くのが楽しいという、ごく一部のひとだけにしかオススメできないものになります。

講座の宣伝というよりも、デメリットのほうが目立ってしまっているかもしれませんが、術の世界に携わりたいという人は、信念体系をレベルアップさせる意味でも、色々な価値観に触れてみるのは大切だと思いますので、コクはないけれども、そのかわりアクもない解除講座を入口にしてみるといいと思います。

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