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都立日比谷高校卒業生の回顧
言わずと知れた名門校、都立日比谷高校。わたしは誇らしいことに、その卒業生である。汚点ばかりのわたしの人生において、唯一といっていいほどのステータス。いや、いまとなってはぜんぜん意味がないけれど。日比谷卒なんです、って言ったらおじさんたちに、おおっ、といった風なリアクションをとってもらえるぐらい。まあ逆に言えば、それだけ知名度があって、すごい高校なんだなあ、とは思う。
今回は、日比谷高校の受験話について、すこしお話しようと思います。
わたしは2013年に都立日比谷高校に入学しました。はっきり言って、なぜ入れたのかいまだによくわかっていない。ただ、親は教育熱心でした。本当に親には感謝しきれません。小学生のころから塾に通い、中学は地元(西東京市)の公立中学に進学し、中学でも塾にずっと通わせてもらいました。ただ、中学二年生の冬くらいまでは、通わせてもらうなんて意識は毛頭なく、本当に嫌々通っていました。そりゃあ遊びたい盛りですから、塾なんて面倒くさいと思うのは当然でした。なので、勉強が好きな子ではなかったわけです。
では、どうして日比谷高校に進学できたのかと考えてみると、中学二年生の冬が転機でした。中学二年生のわたしは、やんちゃ盛りを満喫しており、反抗期でもあったため、学校でちょっとした悪さ(友達にいたずらするとか、その程度のものです)をしては先生に呼び出されて、なんて日々を送っていました。しかし、冬になって、なぜだかよく覚えていないけれど、急に考えに耽るようになり、人生とは、とか、なんのために生きているのか、とか、そういったことをひたすら考えて、落ち込んでいました。いわゆる、青年期ってやつが来たのだと思います。
その点、少しまわりよりは早熟な子だったのかもしれません。
青年は、考えに考えた結果、お金持ちになりたい、というありふれた人生の目標を打ち立て、そのためには、と考えた結果、医者になりたいと思いつきました。
わたしには医者のおじがいるのですが、その影響が大きかったのかもしれません。お金に余裕があるのを目の当たりにしていたからです。そして、医者になるために、高校受験を頑張ろう、と一念発起したのです。
医者になるためには?トップの高校に入ればいいだろう、という安直な考えから、日比谷高校を狙うことにしました。
それまで、学校の内申点は決して悪くはないものの、良いとまでは言えなかったのですが、学校での立ち振る舞いも一新し、塾での勉強にも本腰を入れ始めました。
そこからは、まあ、人並み以上に勉強していたと思います。血反吐を吐く、というほどではありませんでした。
わたしの得意科目は英語で、これは小学生のころから公文に通っていて、よくわかんないながらも英語をたくさん浴びていたのが大きかったと思います。
そして、いざ受験となりました。第一志望は日比谷高校。挑戦と実践を兼ねて、開成高校も受験しました。が、見事に落ちました。滑り止めとして、慶應志木高校や早稲田高校(たしか早稲田実業)も受験し、これには受かりました。
日比谷高校の受験は、結果として合格しましたが、後々の成績開示を見てびっくりしたのを覚えています。わたしは数学がまあまあ苦手だったのですが、数学が30点ぐらいでした。平均点は50~60点ぐらいだったと思うのですが、じゃあどうして受かったのかというと、英語ではなく、国語がクリーンヒットしたのです。たしか80点後半ぐらいとれていたと思います。わたしの持論なのですが、発達障害を持つ子は、国語の勉強がよくできる、つまり言語野が早熟な子が多いのではないかと思います(不快に思った方がいたらすみません)。
わたしは後々に発達障害の診断を喰らうのですが、まさにそれっぽいエピソードなんじゃないかなあと感じました。
そして、晴れて日比谷生となったわけです。しかし、高校に入ってすぐに勉強しなくなり、ひどいコンプレックスと嫉妬に狂うことになるのですが、これはまた別の機会におはなしします。
振り返って考えてみると、わたしが日比谷高校に入れたのは、自分の圧倒的な努力というより、親の教育の賜物であったり、時の運であったり、なんだか必然ではないように感じます。特に高校受験においては。しかし、受験なんて、といったら失礼ですが、受験はそんなものだと思います。結局、高校に入ってからが問題だったり、できる人はどこにいってもできますし、高校受験がすべてではないように思います。しかし、わたしは日比谷高校に進学できて本当によかったと思っています。入ってから、様々な体験をし、挫折をし、結局医者への道は諦めるのですが、ほんとうにかけがいのない3年間であったとおもいます。たのしかったなあ。
長くなってしまいましたが、今回はこのあたりで終わろうとおもいます。さいごまで読んでいただきありがとうございました。これから高校受験をするひと、日比谷高校に興味のあるひとなど、どなたかのお役にたてればうれしいです。
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