愛って何だっただろうかという覚え書き———Xで太宰治『創生記』の一節を見かけて
愛の言葉は、説明を必要としないからこそ愛の言葉となるのだろう。
恋人が愛を囁き合うとき、それがどれだけ人類史上で繰り返し用いられてきたフレーズであったとしても、それが特別な関係性の中でのジャーゴンとして特別な愛の幻想を可能にする。
その幻想は、もはや歴史上で人間による自然支配を盤石にさせた「言語によってはじめて可能になる幻想」というよりも、互いに触れ合い、輪郭を確かめるようなフィジカルな行為に近いのではないだろうか。
と、最近考えていたことが腑に落ちた気がした。