空を見ていた ②イエスさま、ごめんなさい・・・
否定的な言葉や拒絶的な態度をとり続けられると、人は心が萎縮してしまいます。
大人でさえ回復に時間がかかるのなら、こどもならどうでしょう?
自分が自分で在ることを受け入れられるようになるまで、気の遠くなるような年月が必要です。
だから、決して否定的な言葉や拒絶的な態度をとってはいけません。
中学生になるのが楽しみでした。
中学生になれば環境が変わる。
もう、「異常者」とか、「まともじゃない」というような罵声を浴びせられなくて済む。
新しくやり直せる。 本当に楽しみでした。
小学校卒業間近に、担任が家庭訪問に訪れました。
「中学校には、要注意人物として報告してありますから。卒業式も来なくて良いですから。」
ものすごくショックでした・・・。
こわくて、卒業式にも中学の入学式にも行けなくなりました。
家庭の事情により、3回中学を変わりましたが、私は中学生活というものを知りません。
学校名も知りません。
小卒から高卒になるという、とてもユニークな道をたどりました。
両親は存在しています。今も健在です。(注:父は2008年に他界)
でも、12歳の時に「親も”ただの人”なんだ」と知って以来、私の中には親は存在しなくなりました。
”ただの人”。 当たり前なんですけどね。 悩み、傷つき、迷い、取り乱す。当たり前のことなんですけどね。
こどもを守る力のある大人がいないというのは、12歳のこどもにとってはおそろしいことでした。
イエスさまだけが頼りでした。
イエスさまは、怖い言葉で脅したりしない。 私に痛い思いをさせない。
こどもにとっても優しいイエスさま。 私を守ってくださる優しいイエスさま。
いつも聖書を握り締めていました。
ほとんどのページが線で埋め尽くされ、取れてしまったページをテープであちこちつないで、ボロボロになってしまった聖書。
いつも肌身離さず握り締めているなんて、すごく異様に見えたのでしょう。
ある日、父から「聖書を読んでいても、何も変わらないな。 キリストなんて、ろくなもんじゃないな!」と言われました。
ハンマーで、ガツン!と殴られたような衝撃でした。
私のせいで、イエスさまが悪く思われる!
それは、本当に悲しいことでした。
イエスさま、ごめんなさい
私のせいで悪く思われて、ごめんなさい
いつも私を守ってくださるのに、私のせいで悪く思われてごめんなさい
私がこんなんでごめんなさい
イエスさま、助けて・・・
号泣しました。 泣きつ疲れて、聖書を抱きかかえたまま眠ってしまいました。
それが、イエスさまにお詫びした最初でした。
「人の罪の身代わりに十字架につけられ、3日目に復活し、永遠に生きておられる」ということを、知識として理解したのではありません。
心に深く刻まれました。
このイエスさまを信じれば、罪から救われるということを、学問として理解したのではありません。
イエスさまは助けてくださるお方、守ってくださるお方だということが、心に深く刻まれました。
誰も聖書を導いてくれる人がいなかった代わりに、イエスさまが直接、私によくわかるように教えてくださいました。
ちっちゃい子に手を差し伸べると、パッと手をつなぐでしょう?
まさに、ああいう感じです。
【悔い改めなさい。イエスさまのお名前によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。】使徒の働き2章38節
私には洗礼が必要だということがわかりました。
家の近くに教会が見つかって、さっそく通いました。12歳の終わりから13歳の始めにかけて。
きっと、「私は罪人(つみびと)です。私の罪の代わりに十字架にかかって死んでくださり、復活してくださったイエスさまを救い主として信じます。」といえば、洗礼を授けてくださったのかも知れません。
心ではよくわかっていても、そんな難しい言葉を暗記するのには、私は頭が悪すぎました。
「イエスさまと同じように、洗礼を受けたいんです」と言ってしまいました。
「こどもに救いはわかりません」と、断られました。12歳のこどもが救いを理解してるなんて、信じがたいことだったんでしょうね。
約半年、ねばりました。 とってもしつこかったのでしょう。 「こどもは黙って教会に来ていれば良いんだ!」と、お叱りを受けてしまいました。
こわくなって、それっきり教会に行かなくなりました。その後、教会で洗礼を受けるまで、何と20年も時間がかかってしまいました。
教会という場所がこわくて、なかなか行けなかったんですもん。 また叱られるんじゃないかと思って。