【 あとがき 】
「LOVE STORY」と「Tinymemory」の掲載が終了しました。
この二つの物語は、私の物語でもあります。
違うのは、私には守ってくれる人がいなかったので、登場する男性達は、私の理想像という事、そして実際に私は元夫に多臓器不全直前まで虐待され、手の施しようがなく、ただ静かに一日一日を生き延びていた事は事実です。
娘は奪われました。
後に知った事ですが、私の実母が向こうの親と同意の上、手放したとしらされたのが、20数年も経ってからです。
入院中に離婚話が一気に進み、実の親なのに味方をするどころか、向こうの思うつぼ。”強い者には弱く出て、弱い者には強く出る”という両親でした。
私は5歳以降の娘を知りません。
こんなに情報が溢れている時代なのに、たった一人の我が子を探す事も出来ません。言いようのない悲しみを一人で抱えて、やっとPCを購入で来てから、娘とのエピソードをたっぷり詰め込んだ詩を毎日書いていました。
ちょうど、小学生もPCを使う時代になっていたので、娘があるワードを見つけると私だとわかるように、せっせと書き綴っていました。
あれから28年。私はこの間に再婚し、結婚したばかりの時に緑内障がわかり、翌年の市の癌検診で甲状腺腫瘍が4つ見つかり(良性)、結婚2年半で左胸乳管癌になりました。結婚7年目には全身火傷で元の姿が無くなり、上半身皮膚のないまま1年半生き延びました。
その時の形成外科部長が転勤をのばして、私が手術する気になるのを待っていてくださいました。私にはもう生きる気力がありませんでした。人間の姿を失くし、再婚した年下の夫も疲れきってしまい、不穏な空気が流れていました。私が先生に「私が生きていても嬉しいと思ってくれる人はいません」というと、「僕は嬉しいです」とおっしゃってくださいました。
その一言で、大がかりな手術を受けることになりました。
2年くらい前でしょうか。本当にひょっこりとなんの前触れもなく、その元形成外科部長とネットで”再会”しました。とても嬉しかったです。
火傷して11年経ちましたが、今でも後遺症は思いがけない時に生まれてきます。これは一生の闘いなのだと思います。
私の物語たちの主人公は、みんな死んでしまいますね(笑)。
本当は、私がもうこの世から自分を消してしまいたいのかも知れません。
でも、助けてくれた人たちがいる。だから、自分だけの命ではないのです。
勝手な事は出来ないのです。
「夜と霧」を書いたフランクルは、「それでも人生が待っている」という題で講演をしました。何と、収容所から助け出されてたった1年後の事です。フランクルはユダヤ人だったため、ナチの時代に強制収容所に入れられていました。彼は、どんな状況でも、どんな環境でも「人生が待っている」と考えています。不思議な感覚ですけど、私はこの言葉にすがりつきたい思いで生きてきました。あとどのくらいかわかりませんが、この私にも「人生が待ってる」から、それを見る為に生きるのです。
昨年のおひなさまに、可愛がっていた長女猫のベルちゃんが、腎臓が壊れて11歳で亡くなりました。私の腕の中で、私の自作のへたっぴいな子守歌を聴きながら猫の国に帰って行きました。
亡くなる2週間前から様子がおかしいのはわかっていました。でも、私は全身火傷の後遺症で左手が不便で、4キロ近くあるベルちゃんをケージに入れて動物病院に連れて行く事が出来ませんでした。
亡くなる2日前に、夫がやっと病院に連れて行った時にはもう手立てがなく、死を待つばかりでした。私は納得できませんでした。医者が「僕には出来ませんから、どこか大きな病院に行って抗癌剤でも打ってもらってください。うちでは何も出来ません」と断言して、次のお客さんの診察に別室に行ってしまいました。
ベルちゃんは癌ではないのに、どうして抗癌剤なんて打たなければならないの?? 私の心は怒りでいっぱいでした。
ベルちゃんはまるでぬいぐるみのようにぺた~となっていました。筋肉が弛緩して、力が全く入りませんでした。最期は私の腕の中で見送れた事が、何とか自分の慰めになりました。
私が全身火傷する前に、長男猫のくらまくんが猫コロナウイルスを発症して、私は毎日の様に胸水を抜いてもらいに行っていました。そんな中での全身火傷。私は1か月半もICUに入っていて、大部屋に移ってからもしばらくはくらまくんは生きているものだと思って、夫がお見舞いに来てくれるたびにくらまくんの様子を尋ねました。そしていつも夫は「大丈夫だよ」と言ってくれました。でも、本当は私が知らされる2か月も前に、くらまくんはたった独りで猫の国に帰ってしまいました。ちょうど夫が私の見舞いに来てくれるという日に、家を出る時にくらまくんが浴室に向かう後ろ姿を見たのが最後でした。
私は動けない体であおむけで涙が次々流れ落ちていました。
私が愛する子供達を、神さまはどうして奪うのですか?
ベルちゃんが亡くなった時もそう思いました。
どうして私が愛する子供達を奪ってしまうのですか?
私は今でもわかりません。今でも涙がこぼれます。
それでも、まだ3匹の猫ちゃんが我が家にいます。りょうまくんは糖尿病で、食事の管理が必要です。私がすべてに絶望して消えてしまうと、りょうまくんの命まで奪ってしまいます。
子供達の母親である私が、そんな無責任なことは出来ません。
悲しい気持ちを胸に携えながら、可愛い子供達と私を大切にしてくれる夫と、私のこの世での時間が終わるまで、頑張って生きて行こうと思います。
こんな長文・乱文を最後まで読んでくださったあなた、
心から感謝いたします。
シャローム
龍舞 詩音