空を見ていた ⑪転落
2000年から2005年の春まで、事がスムーズに運ばれているような錯覚を覚えていた。
体もだいぶ回復し、フルタイムのお仕事ができるようになって、ようやく自力で生計を立てることができるようになった。
知り合った友人の教会で、月1回、礼拝の手話通訳をする機会に恵まれた。
それは、お相手のろう者の方がお引越しをされるまでの約2年半続いた。
その教会から、「使わなくなったものだから」と、パソコン一式をプレゼントされた。
ありがたくいただき、生まれて初めてネットを使い始めた。
HPを持ち、各地に祈りの友を与えられた。
そのHPに詩を載せ、読んでくださる方を与えられた。
身近に、クリスチャンの親友を与えられた。
アメリカの学生伝道チームや、韓国の学生伝道チームと、恵まれた時間を過ごした。
「親分はイエス様」の地域上映に携わる経験をさせていただいた。
クリスチャン作家の故三浦綾子さんの元秘書と不思議な出会いをし、その著書の中で、私の証を採用してくださった。
母教会(洗礼を授けてくださった教会)との関係だけは、回復しなかった。
私の心の目も、心の耳も濁ったまま、ふさがってしまったまま、2003年には教会から完全に落ちこぼれてしまった。
ずっと私を支えてくださっていたB宣教師も、ご家庭の事情により、日本でのお働きから退きアメリカに帰国なさった。
教会とのつながりは切れてしまっても、イエスさまとだけはつながっていたかった。
祈りのうちに神学校入学の学費が与えられ、通信制の神学部に入学した。
何もかも順調そうに思えた。 でも、それは大きな間違いだった。
こどもは、養育してくれる人がいないと危険にさらされる。
クリスチャンも同じかも知れない。
教会という「家庭」で、守り養い育てていただいて、様々なお世話をいただいて成長を助けていただくのだと思う。
私はその大切な「家庭」を見失ってしまった。
『静かにささやく声』(列王記上 19:12)に耳を澄まそうとしなかった。
ついに、転落の時は訪れた。
自分という『砂の上』に築き上げたものは、跡形もなく崩れ去った。
そして、『その倒れ方はひどかった』。
失業した。 途方にくれた。
魔がさした。 結婚詐欺に遭った。
厳しい生活の中で、ひとつひとつ築き上げていったものを、一瞬にして失ってしまった。
知らない街に置き去りになり、アパートも退去しなければならなくなった。
わずかな失業保険しかなかった。 身動きが取れなくなっていた。
ぼんやり部屋を見渡した。
娘との想い出のゆり椅子に、娘が赤ちゃんのころによく遊んでいたうさぎのぬいぐるみが、くたっとなって置かれていた。
涙が出た。 力ない乾いた笑い声が口から漏れた。
私は相変わらず誰にも助けを求めなかった。
もうダメだ・・・。
何も口にできなかった。 何も考えられなかった。
このまま朽ち果てていくのだろう。 私はたかが、こんな人間にすぎないのだ。
・・・イエスさま いっぱいお世話になったのに、こんなことになってしまってごめんなさい・・・
・・・イエスさま 12歳の時から今までお世話してくださって ありがとう・・・
何気なくパソコンに向かった。
メールが届いていた。
それは、”神の人”からのメールだった。