男子中学生が数年ぶりに泣いた話
明けましておめでとう。
2021年何か新しいことを始めたいと思ったのと、モノ作りをしてみたいと言う気持ちからnoteを始めることにした。
初めてなのでお手柔らかにお願いします。
テキトーなペースで日記代わりみたいな感じでほとんど自分のために更新することにする。
1月8日
午前中は始業式。今日はまだ気が楽だ。いつもより1時間遅いし、すぐに帰れる。学校って行くとだいたい楽しいんだけど行くまでが死ぬほどだるい。それでも学校に行けてるのは、登校中に聴いてる音楽のおかげかもしれない。
冬休みずっと昼間に起きてぼーっと過ごす生活してたから、今日は時間を有効活用しよう!と決意して自分の部屋の整理を始めた。
部屋にあるワゴンやらぬいぐるみやらを片付けてた時、棚から一つの箱が出てきた。
開けてみると、中には大量の手紙。
そうだ、前の大掃除で手紙全部ここにいれたんだった。忘れてた。
懐かしいなぁと思いながら蓋の開いた箱を机の上に置く。
「今日こそは時間を有効活用するって決めたのに…」
昼間の決意は一瞬のうちに打ち砕かれた。
椅子に座って一枚一枚目を通す。
基本ここにいれたのは、幼稚園前後から小学校低学年の間に親、友達や祖父母・親戚たちと交換した手紙だった。てかそもそも小学校中学年くらいから手紙を交換する機会ってなくなるよな。
そんなことを思いながらどんどん進める。
すると、日本で通っていた小学校の5、6年の時の担任からの手紙が。文面から察するに、きっと卒業した直後くらいに届いた手紙だろう。あまり記憶に残ってなかったため、きっと当時はよく内容を理解できなかったのだろうが、今になって見ると先生らしいなんだか懐かしい手紙だった。詳しくは書かないが、きっとこの先思い出すことになるであろう手紙だった。
そこからも幼稚園の時の友達や家族の心のこもった手紙を見続けた。
友達からは、「これからもずっと友達でいようね」などの温かい言葉が「the 幼稚園生」な字で綴られていた。
家族からは、病気の僕を励ます言葉や、僕の成長に期待を寄せるメッセージがたくさんあった。
僕は最近1人の素晴らしいさに目覚めた。その勢いで、僕は1人でも生きていけると勘違いしていたのかもしれない。たくさんの手紙を見てそんなことを感じた。1人の時間を満喫するのと、自分の力を過信するのは別物なんだとわかった。今まで自分はたくさんの人たちに支えられ、愛されていたんだと思うと、なんだか涙が溢れてきた。
その涙がどんな涙だったかはわからない。自然に出てきた涙だったから。
だけど、それが負の感情ではないことは確かだった。多分、あれは感謝の気持ちが大きかったんじゃないかなと思う。
ここに数年泣いてなかったからか、一度泣くとなかなか止まらなかった。
ついでに最近の悩みや辛いことも一緒にお別れしてきた。
すると気持ちが楽になった。
泣くのっていいデトックスなのかもね。
これからは我慢しないように、自分の感情に嘘つかないようにしよう。
そして、たまには手紙書いてみようかな。
書き終わって気づいた
俺文章書くの下手だなぁ。
ここで練習しよ。
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