小学校まで、父親は実は...
今回は、父親関係の話をしようと思います。
父親とは、僕が2歳のころに離婚が成立しているのですが、実は小学校に入るまでは、もう死んでいると思っていました(笑)
保育所くらいの頃ですかね。
「うちにはなんでお父さんいないの?」って母親に聞いたことがあったんです。
それまでは、なんとなく聞いちゃいけない気持ちが強くあって、我慢していたんですけど、ついに!って感じですね。
そしたら、「交通事故で死んじゃって、もう会えない」って教えられたんです。
恐怖心は残っていましたし、その言葉を聞いてすごく安心したことを覚えています。
なんて不謹慎なって思うかもしれませんが、DV受けていた子供の心理なんてそんなもんです(笑)
それに、幼少期から日中は託児所とか幼稚園とか、基本的にどこかに預けられていたので、そこらへんは別に疑わなかったんですよね。
というか、父親に対する恐怖心は残っていたので、むしろいないことに安心していた部分もあったくらいです。
だから、父親がいないと聞いて喜ぶという謎の状況になったわけです。
客観的に見たら、なんて憐れな、、、って思われそうな父親ですが、2歳の子供に暴力ふるったり、家族に刃物を投げつけてくるような父親です。
むしろ、それくらいの認識だけでよかったな!って言ってやりたいくらいですよ、まったく。
でも、『父親』という存在自体には、憧れとかを持っていたのも事実なんです。
その話は、また書こうと思います。
話を戻すと、小学校に入るまでは、父親が死んでいると思っていたんです。
でも、さすがに隠し通せないと思ったのか、僕が小学校に入る頃に、真実を告げられました。
「本当は、離婚をして離れて暮らしているだけで、父親は生きているんだよ」って。
離婚ってなんなの?とか、いろいろ聞いた気がしますが、覚えているのはその事実の衝撃でしたね。
父親が生きている。あの恐怖の対象が生きている。
自然と体が震えました。顔も覚えていないのに、あの怒鳴り声と雰囲気がフラッシュバックしてしまって。
確かあの時、「会いたい?」って聞かれたんです。
僕は全力で首を振りました。もう、本当に嫌だったんです。
死んでいてほしかったなんて言うと、不謹慎すぎるかもしれません。
でも、僕はそう思ってしまったんですよね。悪い子です。
これ以上書くと、どんどん”ブラックたつや”が出てきちゃうので、このへんでまとめにします。
一言に『父親』と表現しても、その意味合いは人によって様々です。
僕の場合は、恐怖の対象であり、存在としての憧れがあるという複雑な感じでした。
事実がいつも正しいとは限らないですが、受け取り手が感じたことがその人の現実になるんです。
自分にとって生きやすい現実を選び取っていきたいですね。
ということで、今日はこのへんで!
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