「家庭内戦争」(私の育った環境と許す心)
皆さん、おはようございます。
ryukoです。
今日は、子どもの頃の「家庭環境」を
公開します。
他人のそんな話…
興味は持てないと思いますが…
よかったら、付き合ってください。
「父」
子どもと、はしゃぐタイプの人ではなく
家にいると常に怒る
イメージがある怖い人…。
よく、ブッ叩かれた!
茶碗や箸の持ち方が悪いだけでも
無言で「バシーッ」って!(笑)
それでも…
「他の弟妹より私を可愛がってくれた」
自覚はある。特に弟より… でも…
私の感覚的には「父のおもちゃ」
黙って言うことを聞いて
大人しくしていれば
可愛がってくれた。
そこにすがる私がいた…。
「母」
そのせいで私には冷たく、正直…
小学6年生までは
「いい思い出」があまりない。
私には父を上回るほど怖い人だった…。
私の感覚的には「母の召使い」
私だけ家事の手伝いもさせられたし…。
(下の子をおんぶして…)
他の妹弟ばかり可愛がって…
私に優しかった記憶は
6年生で「いじめ」が発覚するまで
…ない…(笑)
「妹弟」3人。
私の感覚的には「妹弟のお世話係」
宿題も出来なくて先生によく怒られたが
3人もまとわりついてくる帰宅後は
一人の時間なんてなかなか作れなかった。
「祖父」
小さい頃よく一緒に遊んでくれた。
お酒に酔っぱらうと「軍歌」を
揉み手で楽しそうに歌いながら
悲しい涙を流し「戦友」を思い浮かべていた。
でも内弁慶なところがあって
外面は良かったが家の中では
「威厳者」でいたかったみたい。
私の感覚的には「家庭内の水戸黄門」
「祖母」
母から取り上げるように
私を可愛がった。
もちろん、他の妹弟も大事にされたが
私は特別だった…。
私の感覚的には「祖母の娘」
そのおかげで救われたことがすごく大きい。
私は「ばあちゃん子」
梅干しやお茶も作るし、漬物にも
こだわりがあって、いろいろ教えてくれた。
我が家には、家庭に二つの城があり
【城主「父」VS城主「母」】
常に好戦または冷戦状態だ。
城主「父」枠
祖父母・私(どっちかと言えば)
城主「母」枠
妹弟3人
偶数で、きれいに4人ずつ…(笑)
【両親不仲・嫁姑問題】
(↑ これマジで厄介!!)
幼い頃から「悩まされない」日なんて
あるわけなく…。
他の妹弟は「母」に飛び込めばいい…。
でも私は違った。
「砲弾を打たれ、切り刻まれ」
巻き沿いくらって毎日
「瀕死」にされる!(笑)
大人の都合に振り回された…(T_T)
怒鳴り声・物が飛び交い・掴み合い…
ひどい時は父の母に対する暴力…
祖父母の傍観…
祖母は母とまともに口を利かず
存在無視…
食器を床に叩きつけたり、聞こえる悪口の
連発で憂さ晴らしをする。
祖母に面と向かって言い返せない母…。
だが、内心「メラメラ」…
父と祖母(もちろん水戸黄門にも)に
腹が立つ母は怒りを
ぶつけるところがなかった。
だから…
私を「怒鳴り・罵り」
感情のはけ口として沢山
…殴られた…。
父とは違い、私の顔が腫れ
「変形」するほど…。
気のすむまで…。
そんな私が可哀想で
祖母が私を擁護し
母に逆襲を仕掛ける…。
(↑ なんとも悪循環…(-“-) )
ことある毎に「これ」よ!!! (笑)
家…「大嫌い」だった…。
大家族のいいところも
あったのかもしれないよ?
…んなこたあ、気づけるはずもない!
両親が揃っているだけで「幸せ」よ!
近所のおばさんに相談したら
そう言われた。
…揃っていないほうが
いいことだってあったはず!
出来れば「離婚」して
「母」に妹弟を連れて
…出て行ってほしかった…。
そりゃあ、子どもらしくなくて
「こまっしゃくれた」
私に仕上がるよなぁ!!(笑)
「学校であったこと」なんて
帰って話をする「隙」なんてないほど
「家庭環境」も忙しいんだもん!!
今は10年以上の別居を経て
数年前に「離婚」してくださった
「ご両親」
本当に感謝…。(笑)
祖父母の口癖
「あんたはお母さんの
悪いところばかり似ている」
母の口癖
「あんたはお父さんの
嫌なところばかり似ている」
…あー、そうか…
両親の
「悪いところや嫌のところ」
コネて作られた
「子ども」なんだ…私…
そう思った時の「ズドーン」感!!
根に持ってやる!! (笑)
(だって、いつも言われてた…)
何が「縁」か分からないもので
今は私が一番「母」に近い距離です。
(いつも頼ってくる 笑)
あんな環境だったのに
今、家族…どちらかと言えば
「仲良し」
だと思います。(父と母以外 笑)
大人になると、環境も関係性も
ちょっとずつ変化しますよね。
他の妹弟たちも
過去を許せているのでしょう。
P.S
もし、私があの頃のことを
許せていなかったら
今の距離で家族と付き合うことは
難しかったかもしれません。
「人を許す」ってハードな課題だなあ。