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一緒に居たいよ、の続き

介護施設の父へ電話したら、今までになく穏和な様子で、横に居てくれるスタッフさんとも、リラックスした会話をしている。
他愛もない会話を一通りしてから、父が言う。

ほんで、なんだった?

元気かな、と思って。

ほんだけかん(笑)

それだけだよ。

はい、どうも。

じゃあね、また、電話するねー。

じゃあね、って言っとるわ(笑)
はい、ありがとさん。

 
以前は猜疑心の塊のような言葉ばかりだった。
他人に心を開くことが苦手で、1人の空間が必要な父にとって、施設での暮らしは特別に不向きだと分かっていた。
それが、スタッフさんと穏やかに会話をしてる…
感謝です。

そう。
私がこんな風に中途半端な愛情で甘えん坊で居られるのは、介護を担ってくれる方々がいるからじゃないか。
自宅介護の話を聞けば、きれい事は言っていられない。

一緒に居る幸せもある。
でも、悲しいかな、現実の世話をお任せしているからこそ、いつまでも、子供として甘えられるのかもしれない。
そして、もしかしたら、親は子に対して、自分が介護の対象であるよりも、ただ甘えられる存在でありたいと思うこともあるかもしれない。
(各家庭、人、それぞれで、きっと現状がその家族の最善の状態だと思います。)

笑っていてくれると、これもありなのかもって思えてしまう。単純な私。
子供だな、やっぱり。
お父さんが、ありがとさん、って、言ってくれたら、それで全て安心できてしまうんだよ。

お父さんありがとう。
スタッフさんありがとう。
やっぱり、ごめんなさい、は消えないけど。

結局、ごめんなさいも、ありがとうも、感謝している事も、大好きな事も、ちゃんと言葉に出来ないまま、電話をきった。

年齢とともに日に日に変化していくのを、父は自分で感じながら、忘れないように、何でもかんでも、メモをする。
孫の名前も私の名前も、今日の日付けも。
電話口で聞き取れないみたいだから、
また紙に書いてあげるね、って言うと、
頼むよ、って。前も書いたけどね。
私の話に、分からんなぁ。分からんくなっちゃったなぁ。って一生懸命、頭を働かせている様子。

一生懸命、生きている。

ふわ~ってしていくのかな?
頭がうまく働かなくなってしまうんだよね。
現実味のある夢の中みたいな感じかな。

そんな時の、幸せ、って何だろう?
傍に居て、背中をさすって、笑顔を見せ合えたら、それが父にとって誰であっても、幸せと思ってくれるのかな。
そんな大切だけど単純なことばかりでも、ないかな。

記憶が遠のいていく中で、過去はもう、
ぼんやりとした温かい場所であるだけで。
でもそれを、ずっと強く求めるんだろう。
家に帰りたい。帰してくれ。って。
野垂れ死んでもいいから、帰してくれって。
言ってたんだ。
当たり前だよな。
子供の頃から住み慣れた、自分の家に居たいよね。

施設の外出許可がおりたら、必ず連れに行くからね。
面会が自由になったら、たくさん会いに行くからね。
最優先で行くからね。
私は、お父さんと居る時間がすごく幸せだと、伝わるように。
それを父が幸せだと感じるなら、私はどんなに幸せだろう。


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