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建築の使命を考察してみる【前編】

お久しぶりです。
建築学科3年目のRyukiです。

最終日にしてようやく「平田晃久ー人間の波打ち際ー」を訪れてきました。

最近、建築の中でも「意匠」分野の存在意義はなんなのかわからなくなり、半ば諦めのようなものを感じていたのですが、今日考えがブラッシュアップされたのでここに記録しておこうと思います。

そもそも建築の使命とはなんなのか?


これについて僕は
「豊かな空間を作り価値として提供すること」
という答えを持っています。
資本主義で生きている以上、職業となるものの本質は全て需要に対する「価値提供」であり、それに見合った対価を得ることでビジネスが成り立っているというのには異存はないでしょう。

となれば建築分野における価値提供とは、「いい空間」を作ることです。その空間を利用することによって、訪れた人々にポジティブな感情を持ってもらうことが最低限必要です。

ところが最近では、万博の記事ネット記事は炎上して、ことあるごとに業界トップの意匠建築家達の試みがネット民の格好の餌食にされています(僕目線)。僕自身、建築意匠では建築の概念を拡張する、という点で価値を提供しているのだと考えていましたが、それ自体が批判されているということは、少なくともネットで建築家を叩いてるネット民たちは意匠に対する需要を持っていないのでは?
と考え始めました。

元々建築分野はクローズドな業界である中、今回の万博はSNSが普及して以来初めての建築主導の大規模イベントであると言え、もともとクローズドな建築界に触れていなかった人々の意見が挙げられる機会であったとも捉えられるでしょう。

マスメディアが建築について取り上げていたのは前回の万博の時期、経済成長に伴い国も市民もイケイケだった時代で、あの当時はメディアの発信方法にもよりますが前衛的な建物が立つことに抵抗はなかったと想定されますが、現代ではそうもいかなかったと考えられます。

そして実際に万博のPJが進行していく中で、その経過はあまりにもたたかれ過ぎている、というのが個人の感想で、これまでにも意匠分野では「デザインの敗北」と言われてみたり、コンセプトの尖ったた造形が機能性、経済性の観点からボコボコにされることは散見されていましたが、今回の一連の世論の動きは僕の中で決定打になりました。

僕の興味分野自体も、何も知らない大学一年時から色々学び、2年次には「意匠」に傾き色々学んだものの、現在ではより客観的根拠に基づく工学分野、特に科学的に快適な空間を考える「環境分野」にシフトしていきました。他にも資本主義社会の中で価値提供をしている谷尻誠さんの事業には興味があり、ビジネスの分野にも興味を持ち、建築学生の王道(?)とも言える意匠には、ここ半年程度ほとんど触れずに学びを進めてきました。

そんな僕が、今回改めてゴリゴリ意匠系(?)の平田晃久さんの展示を見た結果、現代における意匠使命を考察してみました。(次回に続く)

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