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建築とスマートフォン

建築が提供する価値は何か。という事をここ最近ずっと考えています。
もちろん、人が生活するための空間を作ることなのですが、求められる空間にも幅があり、例えば住宅をとっても、デザインに凝ったアート作品のような建築が欲しいという人も入れば、単調な形状でも合理的であった方がいい、という人もいます。施主の性格や敷地の環境、その他の要素によって出力の仕方が大きく変わるのが建築の特徴です。

そういった意味では、単に自分が良いと思う空間を追求するだけでは、自己満足の建築に陥るというリスクがあると言えます。提供する「価値」の定義が、今の建築の世界では非常にあいまいなんじゃないかという懸念があります。大胆な造形なのか、繊細なディテールなのか、面白い機能なのか、快適な空調なのか…これらも人によっては何の価値も感じない、といった可能性すらあるわけです。

正直僕は、自分が暮らす空間に、そこまで大胆な造形は求めません。シンプルだけど少しゆとりや遊びがある、そんな感じのデザインが好きで、それと住みやすさが合わさっていれば最高だな、と思います。そう言った意味ではスター建築家のめちゃくちゃすごい人たちがされていることとはすでに方向性が違うような気もしますが、今、建築業界全体もそうした方向にシフトしてきているのではないかと感じています。

来年から新しい省エネ法が適応され、設計の初期段階での環境性能の評価が求められるようになるそうです。
これは従来の
意匠設計→構造設計→設備設計
というフローが崩れることを意味して、新しく求められる、環境が前倒しになった設計フローは「フロントローディング」というそうです。

ここで要約タイトルの内容に接近してきますが、従来建築は「ハード」と「ソフト」に分けられて議論されてきたことが多いと思います。

ハード…建築本体、意匠やそれを持たせるための構造
ソフト…内部での活動、何が行われるか

こうした二つに分けられるとしたら、建築業界での仕事はハードウェアを作ることになります。ですが、これ単体だけでは、正直直接提供できる価値が少ないのではないか、と最近感じます。というのも、スマホを新しくしたい、というお客さんに対し、何のアプリもOS入っていないスマホの本体だけを渡しても、使いこなせないと思います。最低限OSと、AppStore、カメラなど、最低限のアプリくらいはないとどうにもならないでしょう。

建築の役目はまさにそこではないでしょうか?ハードウェアだけでなく、OSと初期に必要な最低限のソフトウェアを導入しておくこと。そしてそのOS部分が建築の環境デザインであり、デザインにもかかわってくる部分だと思います。建築空間ないで行われる活動をソフトとしたときに、OSはその導入を可能にし、ハードウェアの機能を最大限に引き出すものになります。そういった意味で、建築のハードのデザインと環境設備の合理性は引き離せない物になるのではないでしょか?

前述のように建築は複製や転用が困難であり、サイズがおおきく一つあたりの製造にかかる期間が長いことから、建築に携わる人以外にとって、日常の中では、存在そのものに意識が生きにくい「透明な」存在に近いと思います。(購入からしばらくするとスマホを触っているとき、このアプリは良いな、とか思ていてもスマホ自体の価値に目がいかないのと近いかもしれません)

いい意味で日常に溶け込個見やすく、目だたない存在である(べき)一方、実は生活のベースを支えるもの、それが建築ではないかと思います。
当然のように便利に使えて、その中で生まれるものを全うに楽しめる。むしろ中での活動で生まれる価値を最大化するために適合した形をとり、最大限ハードウェアとしての主張を無くす。それが建築の命題の一つではないでしょうか。

モダニズムのころの考え方とは大きく異なりますが、一見目立つような建築を作っている近年の建築家の方たちも、もしかたら同じようなことを考えているのかもしれません(だと嬉しい)。

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