堕ちた天使
ミミ子が顔面に大火傷を負ったと聞いた時、俺は正直安堵する気持ちがあった。ミミ子は大学でも評判の美人だった。完璧に整った顔立ち、スタイル、気さくで明るい性格。世の中にこんな完璧な女性がいるのかというくらいに非の打ち所がないいい女だった。彼女は俺の恋人だった。
俺とミミ子は大学で同じクラスだった。クラスの大半の男子がそうだったように俺はミミ子に惹かれ、たまたま一緒になった飲み会の帰りにダメ元で告白し、そして何故かOKをもらってそこから付き合うことになった。自分でも信じられなかった。
自分で言うのも何だが、俺はパッとしない男だ。顔も普通、身長も体型も普通、勉強も運動も特に何かが得意なわけでもないし、社交性とかユーモアのセンスもイマイチだ。どうして俺なんかと付き合ってるの?俺でいいの?何度も確認したけれど、その度に彼女は静かに笑うだけで理由を教えてくれなかった。彼女と付き合えたのは嬉しかったし、デートに出かけるたび、キスをするたびに打ち震えるような感動もあった。それでもいつか彼女が俺なんかよりもいい男のところに去って行くんじゃないかという不安がずっとあって消えなかった。
バイト中の事故で油が顔にかかってしまったという大火傷だった。幸い命にかかわるようなものでもないし、奇跡的に目も無事だったが、美しい顔は見る影もなく焼け爛れ、これから何度手術を繰り返しても元通りになることはないとはっきり言われた。ミミ子は毎日泣いて過ごし、俺も彼女に寄り添って一緒に泣いた。しかし俺は、付き合い始めからずっと拭えなかった不安が綺麗さっぱり消えてなくなっていることに気がついた。これで彼女に言い寄ってくる男はもういない。彼女は俺だけのものだ。そう思った。
彼女の事故はセンセーショナルに伝わった。あんなに美人だったのに。あんなにいい子だったのに。どうしてこんなことに。半年にも及ぶ入院を経て大学に戻ったミミ子をクラスメイトたちは表向きには歓迎したが、皆の表情にははっきりと見て取れる憐れみと、彼女をどう扱っていいか分からぬ困惑があった。予想通り、事故以来彼女に言い寄る男は誰もいなくなった。そして俺に対しては、彼女と別れずに付き合うことに対してのまっすぐな尊敬と賞賛があった。正直悪い気はしなかった。
ある時ミミ子が泣きながら、私と別れて欲しいと言ってきた夜があった。こんな顔になってしまった私と無理して付き合うことはない。あなたに迷惑をかけたくない。もっと普通のいい人がいるはずだ、と。俺はミミ子を抱き寄せてなだめて、そんなことは関係ない。俺はミミ子が好きなんだよと言い聞かせた。俺たちが結婚を決めたのはあの夜だった。俺の就職が決まって大学を卒業するとすぐ、俺たちは籍を入れた。ミミ子は就職も決まらず、ウェブライターの在宅バイトをしながら主婦になった。どの企業も顔のせいで不採用だとは言わなかったのは卑怯だと俺は思う。
彼女が火傷をしていなかったら、俺たちはきっとダメになっていただろう。ミミ子が火傷をしてくれたおかげで、俺は彼女との関係に安心を見出すことが出来た。俺は幸せだ。顔面に大火傷をした不幸な恋人を大切にする男として、俺は大いにモテた。今はそんなことはしないが、若い頃は彼女は定期的に入院する必要があって隙もあったし、言い寄ってくる女の子たちとたくさんいい思いをさせてもらったものだ。醜く堕ちた天使と、偽善と独占欲にまみれた醜い人間と、とてもお似合いの夫婦だと思う。