朝の一コマ
早朝の電車。斜め前に座っていた女の子がふらりと立ち上がって早稲田駅のホームに降りた。どうも酒に酔っているようだ。壁にもたれてぺたりと座り込んでしまったが、左膝は擦りむいて血が一筋流れている。おぼつかない手つきでスマホを取り出すと、誰かに電話を掛け始めた。表情はよく見えないが泣いているようにも見える。
一連の所作が何だかとてもドラマチックで、まるで映画の1シーンのようだった。多分あまり出来のよくない映画の、中盤ちょっと過ぎくらいにあるシーンだ。恋人にフラれて自棄になって飲み明かして、「ねえ、私やっぱりタカシと別れたくないよ」なんて電話を掛ける。電話を受けて「真実の愛」に気付いたタカシは、「待ってろ今行くから」なんて言って早朝の街を走る。名前だけはどこかで聞いたことのあるバンドの挿入歌が入れば、ここから先は一気にクライマックスだ。ポップコーンを食べる手が止まるくらいの泣きどころが2箇所ぐらいあってハッピーエンド。映画館のカップルは、「面白かったね」「最後泣いちゃった」「でもタカシのあの態度はないよね」なんて言いながら新宿の街に消えてゆくのだ。
電車のドアが閉まって、ホームに座り込んだ女の子は見えなくなってしまった。ほんの数秒。朝の一コマの一瞬のドラマ。世界は名もなき誰かたちのつまらないドラマで出来ているのだ。駅のトイレに座って、ウォシュレットに尻をアジャストしながらこんな文章を書いている僕もまた、つまらないドラマの1シーンなのだ。
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