くしゃみをしてひとり
小学校の頃、突然くしゃみをするというギャグで僕はクラスの人気者になった。おそらく加藤茶さんのモノマネから始まったんだと思う。休み時間、授業中、僕が突然くしゃみをすると必ず爆笑が巻き起こった。小5になってクラス替えがあった後も僕はくしゃみギャグでクラスを席巻し、卒業生を送る会では全校生徒の前で卒業生への感謝の言葉を読み上げる途中でくしゃみを連発して全校生徒の爆笑をさらった。
中学生になって、最初の自己紹介でかましてやるぞと意気込んだ僕は、自己紹介の途中で盛大にくしゃみをして信じられないくらいにスベり散らかした。焦って続けてくしゃみをした僕は、「緊張するとくしゃみが出てしまう発作のある人」だと思われ、穏やかな憐れみと共にふんわりとクラスで孤立した。障害を持つ人をいじめるような馬鹿な学校じゃなかったことは幸いだったと思わねばならない。結局僕には挽回の機会は訪れず、中学時代という青春をひっそりと孤独に過ごすこととなった。
思えば僕はくしゃみという1つのギャグに頼りすぎて笑いの時流を見ていなかった。くしゃみをするというシンプルなギャグは小学生には有効だったかもしれないが、中学生、まして初めましての中学生に通じるようなギャグではなかった。笑いはもっと複雑で奥深いものなのだ。今思えば小学6年生くらいの頃には既に、くしゃみそのものでウケていたわけではなく、既に確立した流れをなぞる笑いになっていただけのように思う。全てはくしゃみというギャグの上にあぐらをかいて成長を怠った自分のせいだった。
反省した僕はバラエティ番組やお笑い芸人さんのネタを見て、もう一度笑いを根底から勉強し直した。同時にこれまでのくしゃみも、ただくしゃみをしていたわけではなく、元々は丁寧に前振りを効かせた上でやっていたのだと気づいた。自己紹介でスベったのは必要な前振りをサボってただくしゃみをすればいいと思ってしまったのが原因だった。全ての結果には原因があり過程がある。それは笑いにおいても同じなのだと僕は初めて理解した。予測と裏切り、発想の角度、あるあるの発見、何かを何かに例えること。細かい技術たちを発見し、実践することで、僕はくしゃみでスベり倒したヤバいやつというポジションから、なんか時々面白いことを言うやつへと地位を向上させていくことに成功し、中学を卒業する頃には友達も増えていた。
高校生になった。あの時の失敗を踏まえて、高校では真っ当な自己紹介に小ボケを挟んで笑いを取るスタイルで皆の心を掴み、最初から「面白いやつ」として一目置かれることに成功した。最初の席替えで隣になって意気投合したテニス部の大島とコンビを組んで、文化祭でコントをやって大いにウケたりもした。僕は高校を卒業したら養成所にいって、お笑い芸人になるつもりだ。大島はまだ迷っているみたいだが、例え今のコンビを解散することになっても僕の意思は固い。今の自分があるのは、中学の時に味わった挫折のおかげだ。くしゃみで始まった孤独、そこからの研究と努力。絶対にお笑い芸人になってみせる。そしていつかテレビで、でっかいくしゃみをして爆笑を取ってやるんだ。
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