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嘘の美学
舞台俳優としては、「自分は医者です」だの「あなたを愛しています」だのと嘘をつき、お笑い芸人としては、「今度合コンに行くことになったんだけど」だの「引っ越しを考えてるんだよねー」だのと嘘をつき、noteなんてブログを書き始めたかと思ったらここでも嘘の話ばかりを書いている。これだけ嘘ばかりついていると、「嘘はかくあるべき」なんて嘘の美学が育ってくるものだ。私なりの嘘の美学を披露してみよう。
「嘘はかくあるべき」、まずはすぐに嘘だとバレる、或いはすぐに自分から嘘だとバラす嘘だ。ちょっとは信じてしまってもいい。でも嘘だとバラされて、オイ嘘かよ!とちょっと怒って見せながらも笑ってくれるような嘘でなければならない。そう、この類の嘘が目的とするのは主に「笑い」である。そこを忘れてはならない。何でもいから小さな嘘をついてすぐにバラせば笑いになるわけではない。笑いになるような嘘と笑えない嘘とがある。そこはしっかり認識しておかねばならない。笑いにならなかった時は、そこからでも巻き返すまでセルフフォローをするか、それでもどうにもならなかった時にはつまらない嘘をついてゴメンと謝ることも必要だ。
こちら側だけの問題ではなく相手との親密度、相手の理解力や寛容さも考慮する必要がある。親しくもない相手にいきなり変な嘘をついても、それを笑いとして受け入れられることは少ない。嘘に限ったことではないが、コミュニケーションというものはある程度の信頼関係を前提に成り立つものだ。そこをすっ飛ばして嘘から入るのは悪手である。相手の嘘理解力という点では、例えば嘘をすぐに信じてしまうような人に対して嘘をつく時は気をつけねばならない。すぐに騙されてくれる人は嘘をつく側としては楽しいかもしれないが、だからと言って調子に乗って嘘を連発していると相手を傷つけてしまうことにもなり得る。子供の頃、親戚のおじさんがついた変な嘘を信じて傷ついた経験がある人も多いのではないだろうか?よりすぐ分かるような平易な嘘にするだとか、バレたあとには都度謝るだとか、そもそもそういう相手には嘘を控えるだとか、いろいろと配慮の方法はある。
「嘘はかくあるべき」、もう一つは絶対に嘘だとバレない嘘だ。死ぬ気で隠し通す嘘だ。誰かを守るため、自分を守るため、そのためにつき通す嘘。これも、例えば仕事上のミスを隠すための嘘のようにその嘘によって他の第三者に大きな不利益が発生してしまうようなものはよくない。前提として「バレなければ誰も損をしない、傷つかない」である必要がある。そして同時に、バレない、隠し通す、嘘をつき通すを完徹することも重要だ。寝坊したことを隠すために、お腹が痛かったんですと嘘をついたのならば、朝お腹が痛かった自分を演じ切らねばならない。やましいことなんてない、ただ飲みに行って盛り上がって終電で帰ったんだよと言うならば、嘘をつくという任務を完遂せねばならない。嘘を打ち明けてしまう理由の大半は、自分が嘘をついているという罪悪感に耐えられなくなることだ。だがそれをしてしまった瞬間に、嘘は罪になってしまう。バレなければそうはならない。嘘をついたからにはやり切らねばならない。罪悪感に耐え切るか、そもそも罪悪感など感じないレベルで自分の嘘を信じ切るのだ。それが出来る気概がないならば、この手の嘘はつかない方がいい。
社会がどんどん潔白になって、嘘イコール良くないことだという図式が当たり前になっているような風を感じる。そんなことはない。人間社会には嘘が必要なのだ。嘘をつくこと、嘘を信じさせること、更に言うならば嘘かもなとは思いながらも嘘に騙されてあげる寛容さも必要なのだと思う。皆さまも必要な時には嘘をついていきましょう。ただし自分なりの美学は持って。
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