何故か、恋愛もの
8月も上旬を過ぎるというこのタイミングで、何とか2本の朗読劇用の脚本を書き終えた。まだ微調整は入るかも知れないが、予定よりはかなり巻いている。というのも、この後、急ぎの案件が入っているので、できるだけ早くそちらに移りたかったのもある。
かといって、やっつけ仕事にはしたくなかったので、自分の中の想像力の歯車を、目一杯高速で廻して、まるで輪転機から新聞や書籍が印刷されてくるように、どんどん書き付けていった(正確には、「打ち込んでいった」ということだが)。
今回も、先方からテーマや題材の指定は特になかった。ただ、出演者は5人で、全員若い女性、という縛りだけがあった。それを元に、今の僕が書きたいものを、好きなように書いていいということだったので、書いてみたら、何故か2作品とも恋愛がテーマになってしまった。
僕の作品の多くには、確かに恋愛はエッセンスとして登場する。しかし、恋愛をメインテーマにした作品は、実はあまりない。別段これといった理由はないが、こと恋愛に関しては、あまり抽斗がないというのが正直なところだ。ありふれた男女の痴話喧嘩的なものや、(古い例えだが)ハーレクインロマンス的な筋立ては、書いていてる自分が鼻白んでしまうのだ。
自分がいい恋愛をしてこなかったからかも知れないし、そもそも恋愛の仲間に入れてもらえていなかったのも原因だろう。僕にとっては、何か遠い国の出来事のように感じられる。本当に遠い国で起きている戦争の方が、余程想像力を掻き立てられ、物語が思い浮かぶ。
それだというのに、何故今回に限って、恋愛ものが2つ並んだのか。これを書く前に、ここでも触れたヒコロヒー『黙って喋って』を読んでいたからか、または、今読んでいる本も、恋愛を扱った(といっても、『黙って喋って』は到底及ばないほどの重量級の小説だが)ものであることが、何か関係があるのか。それとも、自分の中に何十年ぶりかで芽生えている恋心と関係があるのか。何しろ、構想を思い付いた時点から、恋愛が前面に出ていた。
とはいえ、保邑流の恋愛ものは、そんなに甘いものではない。後味が爽やかだったり、ほっこりしたり、ジーンときたりといった、そこら辺に溢れている恋愛ものとは訳が違う。それがいいことがどうかは分からないが、輪転機を全力で廻した結果がこれである。
こうなったら、是非ともご覧いただきたい。世間の恋愛話と、保邑のそれが、どこからどうズレているのか、どこに面白味があるのか。確認していただきたいものである。
こちらはいつもの純真舞台さんの朗読公演用の脚本である。間もなく詳細が発表されると思うので、そうしたら改めてお知らせしたいと思う。
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