「恋愛」はしゃんとしない〜ヒコロヒー『黙って喋って』読後感想〜
7月も下旬に入ろうとしている。ここのところは、スキルシェアサイトからの執筆依頼も一段落したので、かねてより依頼のあった例のユニットさんからの脚本の構想を練ろうとしていた。やはり生成AIの影響があるのかな、と思っていた。すると、いきなりそのサイト経由で2件依頼が来たので、急にスケジュールが立て込んだ。嬉しい悲鳴ではあるが、こうなると、早く書かなくてはというプレッシャーがかかってくる。そうすると、不思議なもので、何も浮かばなくなる。あと1ヶ月弱で仕上げねばならない。何とかしなくては。
そんな時に、本の話題を1つ。
ヒコロヒー「黙って喋って」(朝日新聞出版)。
僕は寡聞にしてこの芸人さんを知らない。内容は、女性の視点から恋愛を扱った短編18本。本人はあとがきで「自分に恋愛というジャンルの引き出しめいたものなど(中略)まるきり、ないのである」と書いているが、それぞれの短編に描かれている人間模様は、かなりリアルだ。イッセー尾形さん(この方はお笑いのジャンルの方ではないが)のように、人間観察眼が鋭いのだろう。または、周囲にネタになりそうな人達がたくさんいるのかも知れない。
元来、恋愛というのは、真剣であればあるほど、そんなに綺麗なものではない。TVドラマや映画、小説、舞台で描かれるような、美しい恋愛は、ほぼほぼフィクションと考えてよい。試しに、そういうメディアに出てくる、恋愛に関しての台詞、就中告白の台詞を、声に出して言ってみれば、それがどれだけ非現実的なワードかが分かるだろう。本人が真剣であればあるほど、また、純粋であろうとすればするほど、他人から見たら滑稽で、カッコ悪く、醜悪で、はしたないものである。言ってみれば、恋愛をしている人間は、みなどこかダメダメであり、時にクズで、だらしなかったりする。
この本の作者は、自分が書いた小説の登場人物に「何しとんねん、しゃんとせいよ、と思いながら書いていた」そうである。成る程、クズ男に振り回されたり、愛されたいがために、何から何まで男の好みに合わせて、結局捨てられても自分の好みが分からなくなってしまったり、「たいがいにせえよ」と言いたくなる人間(男も女も)が多数登場する。それが恋愛というものの本性であり、もっと言えば、その人の本性を暴き出すのが恋愛だ。ここに並んでいる短編は、それを実に見事に、等身大で描いている。だから、読者が「あるある」「分かる、分かる」と共感しやすいのだろう。
正直深みはそれ程ないが、読みやすく、多分速読ができる人なら、1時間くらいで読み切れるかも知れない。僕は、1編1編を味わうために、わざとゆっくり読んだ。先に、作者は登場人物に対して「何しとんねん、しゃんとせいよ、と思いながら書いていた」と紹介したが、その突っ込みには、やはり愛がある。登場人物の中には、最後までダメダメな人や、最後の最後で泥沼にはまる人も描かれてはいるが、逆に、最後には前向きに歩き始めそうな予感を漂わせて終わるパターンもある。また、作者の照れなのか、または人間性への深い洞察なのか、正論や変革がもたらされそうになっても、それが最後の最後で崩れて、ぐだぐだで終わるものもある。
いずれにせよ、恋愛をしている時、人間はそうしゃんとはできない。正しいと思う結末に至らず、最悪の選択をしてしまうこともある。勿論、この作品群ではあまり出てこないが、道を誤らせる原因として、「煩悩」「欲望」も大きいだろう。
そんな人間達を、作者は後ろからどつきながらも、愛情の籠もった目で見つめている。そんな趣のある作品群だ。
僕自身、肩肘張らずに見られる作品を書きたいと思うこともあり、事実、そういう作品を提供したりもしてきた。「黙って喋って」は、まさに肩肘張らず、でも時にジワッとくる読後感がある。サラッと読めて、人間性の深いところにも案外手が届きそうな感じがいい。是非ご一読をお勧めしたい。