蛍の見物客の交通誘導をして感じたこと


ほたるの警備を町内の民生委員の方など有志でした。

小さな蛍を見るために数百人の大勢の方が来られ、なぜ、そんなに蛍を見たいのかいつも不思議に思う。

蛍をみると「今年も蛍が見れて良かった」と思い、言葉にならない満足感がある。
見物客の中には、「ありがとうございました」といわれる方もいる。

車のライトを照らし、見物客も自ら💡🚗光を放っているのに、小さく弱々しい光を放つ蛍をなぜ、求めるのか。

夜間、🚗を走るのは、蛍のようなものではないかとも思う。

人々が蛍に強い期待を持っている事を、土砂降りの大雨の中、傘をさしてまで、何百人も観に来られ、交通誘導しながら、実感した。

何がそこまで、人々を蛍に向かわせるのか?

蛍を観ると、「来年も蛍に会いに来るね」と思っている自分がいる。

蛍を守るために、川の水をきれいにしなくてはと思う自分がいる。

蛍の方は、毎年会いに来る見物客の事を何と思っているのか?

おそらく何とも思っていない
だろう。

蛍は、自分の事で、精一杯ではないか?
自分が光っているのに気づいていないかもしれない。

蛍は、光を点滅させる事で、会話するらしい。
光を点滅する事で意味がわかるのか、不思議であるし、疑問を持っている。

確かに、蛍の警備中、赤く点滅する「警備棒」で、見物客のたくさんの車を、駐車場へ、誘導したり、徐行していただいている。
これもある意味、「光と光の会話」なのかもしれない。

自由に飛び交う蛍達と、それを観に来る大勢の見物客の車と人口減少で年々減って行く高齢の駐車場警備の方達の戦いは、これからも続いて行く。






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