アートと再会する
1.学生時代の出会い
私は学生時代に、京都にある私立大学へ通っていた。京都と言う土地すがら、気になる寺社仏閣をまわったり、美術館に興味のある展示があれば少しずつ行き始めていた。
そんな時、細見美術館で『末法』と呼ばれる企画展があることを知り、不思議なもの見たさで行ってみた。この展覧会は正式名称を「末法/Apocalypse ー失われた夢石庵コレクションを求めてー」という。
末法とは、仏教で釈迦の死後、その教えが次第に衰え、悟りを開く者もなく、教法だけが残る時期をいいます。永承7年(1052)に、末法の世に入るという予言を信じた平安の貴族は極楽浄土への往生を願い、阿弥陀来迎図など華麗で優美な作品を生み出してきました。また、弥勒菩薩が出現し救済する将来を信じ、経典や仏像を伝え残すために、経筒に入れて地中に埋納して守ってきました。
本展では、荒廃した世に生きた人々の希望であった仏像や絵画、経典、鏡像など、珠玉の仏教美術を中心に紹介します。
展示されていた仏像や、仏具、羅漢図をなんとなく見ていきながら、最後の展示へと足を進めた。そこには、映像作品があった。
明るく白い画面から、鐘の音がきこえてくる。
音に合わせて浮かび上がってきたのは、モノクロ写真だ。
一面に千手観音が並んでいる。
三十三間堂の『千体千手観音立像』であった。
鐘の音とともに、別の観音様の写真へ移り変わる。
音の感覚はどんどん狭くなり、写真も早く変化する。
観音様の顔は見えなくなり、いつのまにか、光輪の輪郭しか見えなくなる。
私は何をみていたのか、わからなくなる。
写真は静かに消えて、静寂と白い空間が広がる。
私は、この映像に引き込まれてしまい、その場を動かずに何度も何度も見入ってしまった。見たイメージはそのまま、ずっと残り続けた。
2.再会
そして、今年。つまり、2020年。学生時代よりも、さらに美術館へ足を運ぶようになった私は、新しい展覧会の情報を集めていた。すると、耐震工事中だった京都市美術館がリニューアルオープンする事がわかった。本館の名前は京都市京セラ美術館に変わり、東山キューブと呼ばれる新館もつくられたらしい。こけら落としの企画展が公表されていたため、見てみる。東山キューブでは、杉本博司さんの「瑠璃の浄土」がひらかれるという。
今回、かつて6つの大寺院が存在していた京都・岡崎の地に立つ京都市京セラ美術館の再生にあたり、現代における人々の魂が向かう場所としての浄土の観想や、今、果たされるべき再生とは、といった問いから、「瑠璃の浄土」のタイトルのもと、仮想の寺院の荘厳を構想します。
展示の公式ページを見た時、ふと見たことのある写真を見つけた。
あの、千手観音である。
私は、細見美術館で見た映像のイメージをずっと覚えていた。しかし、誰がその写真を撮ったのかは、全く覚えていなかった。そもそも、興味がなかったのかもしれない。だから、本当に見つけたときには驚いたのだった。
必ず、実物を肉眼で見たいと、強く感じた。
「瑠璃の浄土」は予定よりも大幅に遅れて始まった。私も、美術館の方々と同じように、この状況下で開催できるのかと不安になっていた。しかし、事態は思ったよりも好転したのだった。
様々な対策を行いながら、恐る恐る東山キューブへ足を運んだ。
杉本博司さんが選りすぐった仏具たちを楽しみながら進んだ先に、壁で囲まれて暗くなった空間を見つけた。
そこには、大きく焼きつけられた千手観音が並んでいた。
更に真ん中には、本尊様が人間の背よりも大きな写真に収まっていらっしゃった。
この写真はモノクロにしたために、余計な要素が削ぎ落とされている。
おかげで、風化した部分が強調されて時の蓄積が強く感じられた。
実物の像よりも、私は杉本さんが撮った写真のほうに畏怖の念を感じたのだった。
3.再会の準備
最初に杉本さんの作品を見た時と、再会した時で自身の感じ方は大きく変わっていた。変化の理由は仏像や写真の捉え方が大きく異なっていたからだろう。
学生時代は、仏像を寺社仏閣の一部としてみていた。つまり、建築物の一部とも見ていただろうし、仏としても見ていた。
現在は、仏像をアートとしても見るようになった。更に、仏像を写真に収めることもアートであり、現物とは全く別の見え方をすること、感じ方をすることを知っている。
捉え方が変わったのは、大学院卒業後に、芸術について見る側から探求してみようと試行錯誤を行ってきたからだろう。特に2つの影響が大きい。
1つ目は、ジャンルに関わらず少しでも興味を持ったアートは見に行ってみるように決めたことである。その結果、今までそれぞれ独立した枠組みの中でしか見れていなかった対象が、アートでもあったと気づくことができた。
杉本さんが撮りたいと願った三十三間堂千体仏は、三十三間堂に収めるために作られただけではない。この世に極楽浄土を表現して、生きることや死ぬことについて考えてもらうために作られたアートでもあった。
2つ目は、アートの制作過程や、製作者がどのような意図によって作品を作ったかを間近で知ろうとしたことである。
あるとき、アーティストが主催するフォトウォークへ参加した。iPhoneやコンパクトデジタルカメラを用い、動物園で好きな動物や風景を撮影して、他の参加者やアーティストと発表し合った。限定された空間の中でそれぞれが撮った写真には、多様性があった。また、同じ動物を撮っても全く違う感じ方をする写真が撮れていた。
この経験によって写真の見え方は、風景の記録手段から、自身の視点を表現した作品と変化した。
その後には、持ち運びやすいミラーレスカメラを購入して、行く先々で写真を撮り、様々な写真と自身の写真との比較を続けていた。
だからこそ、杉本さんの写真から受け取る感覚の解像度が上がっていたのだろう。
以上のように行っていたことを振り返ると、作品との再会のために知らず識らずのうちに準備してきたようにも思えてくる。
杉本博司さんの作品への探求は続き、更には、杉本さんから影響を受けた方への興味にも広がっている。
探求の過程で得た気づきは、改めて文章にまとめたい。そのための準備を進めていきたい。
参考資料
・『杉本博司 瑠璃の浄土』 図録
・『苔のむすまで』 杉本博司 新潮社
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