落合陽一さんの「質量への憧憬」にて。
今日は落合塾の方と、落合陽一さんの個展「質量への憧憬」を拝見し、ディスカッションをしました。
個展を見て考えたことや、感じたことを書きます。
枯れ葉
最初に惹きつけられた写真は、枯れ葉でした。
近づくと、葉脈がくっきり見えます。。
落ちた葉は自分も好き。枯れ葉の中に紅葉がポツポツ落ちているのは、特に好き。
ですが、枯れ葉の葉脈が素晴らしいとこんなに思ったのは、はじめてだと思います。
葉脈によって切り取られた区画が、風化によって、味わいを増していく。高精細の写真に切り取られたことによって、肉眼で普通に見るよりも、際立っている。
近づいたり、遠ざかったりして、楽しんでいました。
窓
並ぶ窓を見て、仏教を感じる。
高精細の解像度では、雫や光が枠によって切り取られているのがよく感じられる。
ほかの大量の写真にも窓を感じる。
ビルが空間を切り取って、間から光が流れてくる。鉄の枠は時に鋭く、時に柔らかく切り取る。
看板
しばらく、ぐるぐると見ている中で、好きになっていった写真。
それは「看板」です。
新しい看板は、時間が経つにつれて、錆びて、擦れて、情報量が上がっていく。
また一方では、錆びは看板を破壊していく。
完全に壊れると、看板ではなくなる。
情報の増殖と破壊の間に存在する彼らを、落合さんは残しておきたいのかなと、私は感じました。
鑑賞以前と以後の「写真」
自分が見たものを保存しておく。自分がいた証拠を残す。
それが今までの写真を撮る大きな理由でした。
鑑賞後は、時間による情報の蓄積と破壊の過程を探し、この場にとどめておくために撮っていこうと、思いました。
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