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スタバにガリレオ・ガリレイを連れて行きたい

コーヒーは天動説だ。
コーヒーが美味しいなんてウソだ。僕はそんなの信じない。

よくよく味わってほしい。あれは紛れもなく苦い。しかも臭い。さらに黒い。味も香りも色も、そのものだ。

あの苦さを多くの人はいつから克服したのだろう。当り前のように人々はコーヒーを飲む。全国至る所にカフェがある。カフェの語源はもちろんcaffe(コーヒー)だ。

「はい、お疲れ。」
いつものように同僚が僕に缶コーヒーを渡す。親切心なのはわかるが、その時の「礼には及ばねぇよ」と言わんばかりのニヤリとした表情に正直むかつく。仕方なく僕は舌と心に耐えがたい苦痛を感じながら、渋い顔をして毒を飲み干す。誰もがコーヒー好きとは限らないのだ。

コーヒーより僕は紅茶が好きだ。苦くないから。さらに言えば紅茶よりハーブティーが好きだ。カフェインが入っていないから。

しかし僕のような男性はどうやらかなり少数派のようだ。僕の知る限りミルクティーが好きだった男は、生涯でたった一人しか知らない。ハーブティーに至っては、そういうものを飲む男の姿すら見たことがない。

だからハーブティーを飲む僕は世間から奇異の眼で見られる。どうして男だからといって毒を飲まなきゃならないんだ。

一般的に世間ではコーヒー=男、紅茶=女という先入観がはびこっている。ただしカフェでのコーヒーは例外らしい。ラテだのマキアートだのは、むしろ女子が好んで飲んでいる印象すらある。今気になって調べたらスタバの男女比は男3:女7だそうだ。

そう考えると缶コーヒーをグビグビ飲むのは男のイメージ。紅茶のペットボトルか、カフェでスマホ片手にInstagram見てるのが女のイメージなんだろう。

要するにオシャレなら女性もコーヒーを飲むということだ。という事は結局、男も女もコーヒーが大好きだということになる。あの苦い毒が?みんな舌がどうかしてるぜ。

ここで僕は一つの仮説を立てたい。これは美味い不味いの問題ではなく、単なるポーズなんじゃないだろうか。

「ふぅ......やっと終わったぜ......。」一仕事終えた後にブラックの缶コーヒーをゴクリ。見事にできる男を演出している。スタバでキャラメルマキアートを飲みながら頬杖をついて物憂げに窓を眺める。オシャレ女子のさりげない日常の完成だ。

こうしてポーズはいつしかそれが当然という常識に染められていく。

知らず知らずのうちに人は思い込みに囚われている。コペルニクスが地動説を唱えたように、常識という色眼鏡を外した時、はじめて人は真実をそこに見出すのだ。

よくよく味わってほしい。コーヒーは紛れもなく苦い。しかも臭い。さらに黒い。味も香りも色も、そのものだ。

コーヒーが美味しいなんてウソだ。僕はそんなの信じない。
コーヒーは天動説だ。



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