川崎の太陽を越えろ! 大島僚太
このコラムは大島選手が初めて日本代表に選出された時に書いた物です。
サクサクと読めるのでこちらも是非どうぞ!
それでは!
今季クラブ史上初となる背番号10を背負うことになった小柄なボランチは先日自身初となる日本代表に招集された。
大島僚太。2011年急遽川崎フロンターレに入団が決まった彼は当時からルーキーとはおもえない技量を兼ね備えスターティングメンバーに割って入れる存在であった。だが、1年目は公式戦14試合と満足できるシーズンとはならなかった。その中でも大島は着々と準備を進める。そんな努力が実ったのか2年目は公式戦26試合に出場しリーグ戦ではプロ初ゴールを決めるなど“自信”をつけることが出来たシーズンとなった。だが、物事は順風満帆には進まない。2013年、札幌から山本真希が加入したことによってあまり試合に絡むことができなくなってしまった。その年川崎フロンターレはリーグ3位となり風間体制2年目にしてAFCアジアチャンピオンズリーグに出場することになった。
2014シーズンは大島にとっても激動のシーズンだったのではないだろうか。ACLに初出場し国際的な経験もでき成長することができた。その後、2015シーズンはチームの軸として1年間通して戦い抜くことができた。
大島は早生まれで学年が違うためU-23日本代表では実質最年長である。その中でクラブに必要不可欠な存在となった大島は世代別の代表でも同じような存在となり主軸としての自覚をもってプレーすることを求められた。
2016年1月、U-23日本代表がリオ五輪出場権を獲得し、その活躍は日本全国に伝えられた。そんな中川崎フロンターレは新体制発表会見を行っていた。いつも通りにプログラムは進んでいく。毎年のことだが新背番号発表はサポーターが盛り上がるポイントでもある。だが、今年は例年以上にサポーターがワクワクしていた印象が強かった。それはなぜか。欠けた10番の穴である。新加入のエドゥアルド・ネットやエウシーニョはディフェンスの選手だったため外国籍選手の可能性はほぼ0に近かった。中村憲剛2世と称される大島も名前はあがっていたが14番の後継者ともいわれていたためこちらも0とは言い難いが基本的にないと考えられていた。だが、結果的に10番の空席には大島が座った。まさか現実になるとは誰しもが予想していなかった。川崎フロンターレ創設以来初めての日本人10番に加え、アタッカーの印象が強い川崎の10番がパサーに変わった。
大島にとって今回の決断はそう簡単なものではなかっただろう。だが、この決断がこの先良いターニングポイントであったといえるようにピッチで躍動しなければならない。そして、夏に開催されるリオ五輪で日本代表を過去最高の成績へと導ける存在になり、川崎フロンターレというチームでかつての英雄であるジュニーニョとはまた別の歴史を“10番”として刻む。
(I.RYUJI)