"最高傑作"から"レジェンド"へ 三好康児
【三好康児】
川崎フロンターレサポーターは絶対に知っている名前である。
2017年1月22日。
毎年恒例の新体制発表会見が行われた。
例年に比べ、今年は”家長”という目玉がいるだけにメディアからの注目度も高かった。
注目の背番号発表では、主に7番・8番、そして大久保が昨季まで着けていた”13番”が空席になっていた。
その”13番”の椅子には、川崎フロンターレが育て上げた”最高傑作”が座ることになった。
”最高傑作”とは三好のことである。
U-12からU-18まで長い時間を下部組織で過ごし、2014年には特別指定選手になり、高校卒業を待たずにプロの環境で過ごした。
翌2015年はJリーグ初出場を果たした。それも聖地等々力で。
惜しくもその年、J1では得点できなかったが、J3ではU-22選抜でプロ初得点を記録した。
だが、三好はその年着実にレベルを上げていった。
それは結果として表されることになる。
見事、”J1”で初得点を記録した。
アウェイベガルタ仙台戦。
三好がドリブルで作り出す光景は、生きるレジェンド「リオネル・メッシ」と似ているものがあった。
「メッシに似てる」
この例えは、どこでも、だれにでも簡単に使われる例えだ。
ただ、このゴールに関してはどこかで見たことのあるような、ドリブルとシュートだった。
三好は試合に出場するたびにゴールを期待され続けていた。
だからこそ、川崎フロンターレでのプロ初ゴールがあのような形で入ったのは本人にとって、とても大きな意味を持つゴールだったに違いない。
これを機に三好はチームを引っ張ていく。
実際、天皇杯ラウンド16、浦和レッズ戦。
この試合がおそらく今季でもっとも「やれた」試合だった。
得点という形での結果は残せなかったが、120分間、しっかり走り続けた。
特に延長に入っても落ちない走力とドリブルの質は並大抵のレベルではなかった。
三好が意地と気合で最後までやり続けたからこそあの試合で勝てた。
そして昨年、三好は年代別の代表でも結果を出している。
昨年行われたAFC Uー19選手権で見事、初優勝を果たし5大会ぶりとなるU-20W杯への切符を”アジア王者”として手に入れた。
そんな風に三好は充実したシーズンを送っていたが、CS準決勝で鹿島アントラーズに敗れ初タイトルの可能性が潰された。
しかし、天皇杯は残されていた。
チームはしっかりと勝ち進み、クラブ史上初となる決勝まで駒を進めた。
奇しくも相手は鹿島アントラーズだった。
フロンターレが天皇杯準々決勝を戦うまで鹿島はCSで優勝し、国内枠として出場したクラブW杯ではレアル・マドリードを相手に延長戦まで粘り世界2位に輝いていた。
そんな相手の良い雰囲気を壊すためにも絶対に優勝しなければいけなかった。勝たなければならなかった。
ただ、何かが足りなかった。
またしても鹿島に泣かされた。
20歳という若さでたくさんの重要な舞台を経験した三好康児。
その背中に若手という言葉は似合わない。
”13番”と背番号は半分になったが、それ以外のすべてはこれから何倍にでもなっていく。
(RYUJI ICHIYA)
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。
なお、今回は川崎フロンターレ公式HPとFootballLABを参照させていただきました。
以下よりどうぞ