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”犬がいない”がはじまる

まず初めに、noteを始めようと思ったきっかけが”犬がいない”という寂しい気持ちをどこかにぶつけたかったからだ。

「犬がいない」とは、アイコンでもある我が愛しの愛犬がいないこと。

彼は19年間、私と共に過ごしてきた家族。
私にとっては一番の親友であり弟であり息子であり、この子がいなくなったら私は生きていけないだろうなと思いながら過ごしていたわけです。
働いてるのも全部犬のためだし、自分が生きている理由も犬がいるからだった。
犬がいなきゃ、もうこの世に未練はないなどと口にしていたので、親友からも「自殺するんじゃないかと思ってる」って心配されるくらい。

いや、でもその時は本気でそう思っていた。

そしてついに、その時が来てしまった。
1か月ほど介護の時を経て、私の腕の中で旅立っていった。
今でも鮮明に覚えている最後の鳴き声。

あぁ、こんなことを自分で書いといて涙を流してしまうのですが
(お涙ちょうだい事を書きたいわけでない)

その日から、私の生活には”犬がいない”というシーンがいくつもできるようになってしまった。
私に絵の才能があれば、漫画のように表現できるのだが、あいにく絵の才能は持ち合わせていないので、言葉でならまぁまぁなんとか表現できるのではないかと思いnoteを始めることに。

あ、文章だって才能ないとか思わないで(いや才能はないのだけど)

世の中には「ペットロス」なんて言葉があるくらい、大事な家族を失って心に大きな悲しみを持ってしまう方がいると思います。

それでも前を向いて生きなきゃいけないと教えてくれたのは、何を隠そう鬼滅の刃。

そう、本当に私は鬼滅の刃で心が救われたわけですが、今は話がとっちらかるのでまたの機会に。

何年も何年もペットロスで苦しんでいる方も多いかと思います。
私も彼が旅立ってからしばらくはお先真っ黒状態で何をしても楽しくない
ただただ毎日ひたすら悲しい 悲しい 悲しい 悲しい 悲しい・・・
と言う感情で押しつぶされそう。

でもちょうど同じ時期に仕事が立て込んでいたおかげで、仕事を全うせねばというどこかで聞いたセリフのような感じでひたすら仕事に明け暮れていたので、完全に心が病んでしまうことがなかった。
人前ではどんなに悲しくても笑えちゃうタイプの人間だったおかげでしょう。

そんなこんなで気付けば1年が過ぎていきました。
長いようで短いようで長い。
もうお別れしたのが遠い昔のように感じます。

寝不足なのに早朝から起こされることもなく
黒い服が毛だらけになることもなく
出掛ける寸前におしっこをもらされることもなく
う○ちが転がってて踏んづけてしまうこともなく
疲れて帰ってきたら部屋中荒らされていたなんてこともなく

悲しいだけだった気持ちの中にも、犬がいないことで快適だなと思えるような余裕も出てきたわけです。

でもやっぱり、最初に言った”犬がいない”というシーンに出くわすと寂しい気持ちが蘇ってくる。
だからつぶやくように、犬がいないことをnoteに書いていこうと思います。

もちろん、他のことも色々書くと思いますが
いつかだれかの何かになればいいなと思いながら色々と自分の感情を書きためていきたいと思います。

と、こんなことを書いている時でも
犬が飯をくれと鳴いてこない






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