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29.合理的配慮

1. はじめて専任教員になった実務家教員がとまどう問題


それが「合理的配慮」である。大学における「合理的配慮」とは
「障害のある学生が、他の者と平等に「教育を受ける権利」を享有・行使することを確保するために、大学等が行う必要かつ適当な変更・調整で、大学等において教育を受ける場合に個別に必要とされるものであり、かつ、大学等に対して、体制面、財政面において、均衡を失した又は過度の負担(以下、過重な負担)を課さないもの」(日本学生支援機構)
実際には学生本人からの申し出があった場合に話し合いで内容を決め「合理的配慮」を行う。
「合理的配慮は、個々の障害学生のニーズを満たすものです。たとえば、建物の入口にある段差を取り除いてほしいという車いすを利用する学生Aさんのニーズ、墨字の印刷物の内容を知るために情報保障をしてほしいという視覚障害のある学生Bさんのニーズ、音声言語で提供される授業の内容を把握するために情報保障をしてほしいという聴覚障害のある学生Cさんのニーズなど、障害学生のニーズは個人ごと、場面ごとに異なります。」(日本学生支援機構)
教員に対しては当該学生の授業における「合理的配慮」の内容が伝えられるのでそれを取りはからわなければならない。しかしそれだけではすまない。教員の仕事は「合理的配慮」を必要とするかもしれない学生を「発見」することから始まるのだ。

2.「合理的配慮」の実際


身体的障害はわかりやすいし「合理的配慮」の内容も決まりやすい。問題は心因性の障害あるいは疾患である。あらかじめ申し出があって一般入試の時に別室受験を認めることがある(緊張による過呼吸などのパニック障害に対応する)。しかし一般入試では申し出の無い学生が合格し入学してくることがある。総合型選抜の場合は面接もあり、合格者に対する入学前教育も行われるので、教職員は問題になりそうな学生をあらかじめ注意することができるが、一般入試ではそれができない。
寮に入ったものの一歩も部屋から出ることができない。まったくコミュニケーションがとれず、孤立する。教室に入ろうとすると脂汗が出て足が動かなくなる。今の大学は協働による学びを重視する。協働しながらお互いに成長していくことを促す。だからアクティブラーニング、グループワークが多い。そんな大学の学びと生活に対して適応できないため、様々な症状が現れる。
そのような学生が授業についていけないことを教員が発見すると担当職員に連絡し、保健室やスクールカウンセラーと連携をとりながら(学生が相談にくる場合が多いので)対応する。学生と面談したうえで、保護者に来てもらう。保護者の反応は「やっぱり」と言うのが多い。保護者も危ぶみつつ「大学に行ったらなんとかならないだろうか」と望みを託しているのだ。学生と保護者に「合理的配慮」を説明し、まず医師の診断を受けてもらう。精神科の医師は「合理的配慮」を受けるためにいかような診断書でも出しますよ、と言うスタンスの人が多い。診断書が出るとあらためて学生、保護者と「合理的配慮」の内容を相談する。グループワークに参加させない、教室の一番後ろに座らせる、レポートの提出期限に配慮する、語学担当教員を変える、取れそうな科目に履修変更を認めるなど様々な配慮が取り決められる。私が担当した学生でなんとか一週間に1回研究室に登校させることに成功した学生がいた。研究室でマンツーマンで対話し、卒業論文についてできることを引き出すのだ(この学生は結局7年在籍して退学した)。

3.「合理的配慮」した学生のその後


「合理的配慮」の結果かろうじて卒業単位が取れたとして、問題は卒業後の進路である。保護者は望むが通常の就職活動は難しい。学生によっては障害者手帳を取得し、障害者枠で特例子会社などに就職することを勧める場合もある。それもできず、何人か心残りのまま卒業あるいは退学していった学生もいた。私が退官記念講演を行った時、12年ぶりに訪ねて来てくれた卒業生がいた。彼は卒業はできたものの就職はできなかった。その後を聞くと障害者手帳を取り、なんとか療養しながら細切れで働いている、とのことだった。
今の教育は学力の3要素(知識・技能、思考力・判断力・表現力、主体性・多様性・協働性)を身に着けることを目的としている。大学において「合理的配慮」をしながらこの3要素を身に着けさせることは果たしてできるのだろうか。彼らにとって大学に進学したことが果たしてその後の人生において幸せをもたらすのだろうか。もちろん大学にいる間は彼らであっても成長するように全力を尽くすが、大学が障害者教育の専門性を持っていないことは事実である。

4.その他大学教員の苦労


まれに、学生ではなく保護者が重度の統合失調症の場合がある。それを患っているある保護者(母親)は学生(息子)を大学が隠していると思い込み、何回もクレームの電話をかけてきた。学生が避難している祖父母と連携を取り、なんとか対応することができた(親族の要請により強制入院)。
前々任校に全盲の教授がいた。全盲ながら東工大で博士号を取り、素晴らしい研究をしている先生で、大学には盲導犬と一緒に通っていた。もちろん大学としては先生に対する「合理的配慮」をするのだが、学生たちも先生を尊敬し、ことあるごとにサポートしていた。
今の学生は基本的にやさしい。障害のある同級生に対してなんとか役に立とうとする。障害のある先生や学生とともに学ぶことは学生とって良い成長の機会になる。だから「合理的配慮」は大学教育にとって必要不可欠な要素である。とはいえ教員にとって負担になることはこれから実務家教員になる身には覚悟してもらいたい。

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