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私の受験物語(後編)

こんにちは、ひまわりです!
私は現在大学2年生で今こうして留学に至るまでかなり長い道のりを歩んできました。念願の留学ができている今、ふと回想して感じたことなど踏まえて、時系列順に書いていきたいと思います。長くなるため前編と後編に分けることにしました。前編もお時間のある時にご覧いただけると嬉しいです☺️今回後編を書いていてかなり熱が入ってしまいかなり長くなってしまいました、ごめんなさい、、

今回は、早稲田大学受験に至るまでを主に描いた前編に続いて、受験勉強編として見ていただければと思います。

※回想録であるため主観が含まれています。ご了承ください。
※個人情報保護のため、学科を述べていない大学があります。ご了承ください。
※この記事は約20分で読み終わります。

私のバックグラウンド
小中を地元の学校で過ごし、国際系に惹かれ高校で私立に進学。
その後一般入試を経て現在早稲田大学2年、ドイツに交換留学中🇩🇪


高2 12月

前編でも記した通り、早稲田大学への受験を決めたのは私が高校2年生の12月でした。この時期といえばおそらく大体みんな志望校が固まっていても受験勉強は本格的にはしていない人が多いのではないでしょうか?
私のクラスは国際教養クラスだったが故に、英語に自信があるが他の教科が壊滅的という人が大半でした(笑)。もちろん私もその1人で、英語はこの時点で偏差値65位でしたが国語は安定せず、世界史はほぼ0の知識でした(私のクラスでは社会科目は世界史と決められていました)。この時、英語の偏差値は65, 世界史は43, 国語は60前後でした。

まず現実と理想とのギャップを知るために、時間を意識せずに早稲田大学の文系学部の過去問を解いたところ、英語は大体7割ほど、国語は5割、世界史は3割ほどでした。

そのため12月は主に世界史を重点的に詰め込むことにしました。今までほとんど真面目に聞いていなかった世界史の授業を驚くほど前のめりで聴き始めたのはこの頃からです(笑)。この頃ちょうど冬休み前の定期テストがあり、その範囲であった現代史を覚えながら同時進行で教科書の1ページから学び直していました。全体的に私が世界史を学ぶ上で使用したものは主に教科書東進の一問一答過去問だけです。これらを本当にボロボロになるまで使いました。12月の間に教科書を最初から最後まで読みこみ大まかに流れを掴みながらざっくりと重要な事柄(用語)を覚えました。これを2、3月までに数周しました。この過程で自分にとってわかりやすいよう書き込みを加えたり絵を描いたり(やけになり落書きをしたり笑)したのであっという間に教科書はボロボロになりました、、。ただこのおかげで担任の先生含め周りの私に対する目が変わってきて、こいつ本気なんだな、と思ってくれるようになりました。

この時期英語は主に当時学校のプランでしていたDMM英会話をしたりシステム英単語を軽くしたりと、そこまで力を入れて勉強はしていませんでした。とにかくこの時は英語以外の教科をいかに伸ばすかにかけていました。

国語に至ってはいまいち何をしていいのかがわからず、ひたすら河合塾の漢字マスター古文単語315、古文や漢文の基礎をダラダラとやっていました。学校で古文や漢文の授業を聞いてもよくわからず、自分で古文上達・基礎編漢文早覚え速答法という本を買いなんとか復習したりしてわかった気になっていました。

★高2 年明けの進研模試

年が明け一月の後半に学校全体で受験するベネッセの総合学力テストがありました。これが私にとって早稲田への受験を決めて勉強を始めてから初めてのテストだったため、かなり緊張して、かつ世界史の成長度合いを楽しみに受けたのを覚えています。結果はこちら。

1月半ばの総合学力テスト

予想通り世界史の偏差値が上がり、この時たまたま問題の相性が良かったのか英語と国語もいつもより高い点数でした。大学別総合評価は、第一希望の国際教養学部がD判定でした。あれ?私もしかしたらこのまま勉強すればB判定くらいまでいけるんじゃない?と思ったのを覚えています。この後を見ていただければ、そんな順調には行かなかったことは見え透いていますが、、

高2 1月ー3月

世界史に関してはこの期間は前述の通り世界史の教科書を何周もしていました。私にとっては世界史の教科書が一番癖がなくて、すんなり物語として頭に入ってくる参考書だったのでこちらに限定していました。ちなみに私が学校で使用していた教科書は東京書籍のもので、写真が多用されている本で私にはとても合っていました。教科書をボロボロになるまで使うのはたくさん勉強した証としてその本を使って勉強するのに愛着が湧くので、この頃はこの世界史の教科書に参考書は限定していました。また世界史など歴史科目に関しては、最初の頃はなるべく使う参考書を少なく設定するのがいいと思います。というのも、歴史関連は参考書やインターネットによって書いてあることが微妙に違ったり、同じ事柄なのに記述が違うだけで別の出来事に聞こえたりするため、一つの物事を暗記するのにさまざまな解釈が頭に入ってきてしまうからです。そのためまずは自分が一番すんなり入ってくる参考書に限定して慣れるのがいいと思います。

国語に関して、この頃は12月と同様の参考書でひたすらに基礎を鍛えていました。国語といっても現代文、古文、漢文とあるわけで、現代文以外の二つに関しては完全に苦手の領域にいました。そして一度苦手意識が芽生えてしまうとやる気もなかなか起きず、時間だけ経ってやった気になり、いざ問題集を解いてみると間違いだらけ、みたいな負のサイクルにいました。現代文は現代文読解力の開発講座という本をひたすら進めていました。

英語に関して、私は4月に英検準1級の試験があったためその対策に限定して勉強していたので英検の過去問分野別の対策本出る順パス単を何周もしていました。ただこの時英検には2回落ちていたので(笑)、今まで使っていた参考書や単語帳は問題も覚えてしまっているくらいで自信がありました。そのためポラリス2の応用レベルも同時進行で進めていました。

高3 4月ー6月

いよいよ3年生、受験生になりました。この時期になるとだんだんと周りも本気で勉強を始める姿が目に見えてきて、少し焦り始めました。この時点で私の志望校は大体以下の大学の国際系の学部に絞っていました。

早稲田大学
上智大学
青山学院大学
立教大学
法政大学(GISのみ)
明治学院大学

しかし、この時期に受けた河合模試や進研模試では点数、偏差値が全く安定せず、4月〜5月で受けた3回の模試全て早稲田大学どころかMARCH含め明治学院以外全ての志望校でE判定でした。ただ、この時期は夏休み前でもあったので精神的にはまだ少し余裕があり、夏休みで死ぬほど勉強してやる、、と闘志を燃やしていました(笑)。

世界史に関して、やっと教科書から抜け出してスピードマスター世界史問題集という、流れと語彙をセットで覚えることができる本を4月から始め5月中に終わらせました。それと同時に、世界史基礎問題精講という参考書と学校のゼミで実際の受験問題に触れていました。また、この時や模試に間違えた問題はずっと使用している教科書を見返して確認していました。6月になると東進の一問一答を取り組み始めました。この本は重要度順に星の数が増えて行くのですが、6月は流し解き程度に星1のものを完璧に覚えることにしました。

国語に関して、4-5月は本当に停滞期でそれ以前の月と全く同じ参考書をだらだらと続けていました。特に現代文に関しては何をしていいのか分からずこのままではダメだと思い、やっと塾に通い始め、早大向けの現代文を受講することに決めました。古文漢文に関しては自宅と学校で基礎をもう少し鍛えてから早大向けの授業を受講しようと思い、この時はまだ受講していませんでした。

英語に関して、無事に4月の前半に英検準一級に合格し、受験用の参考書に切り替えて勉強をしていました。この時期に使用していた参考書は、英文読解の透視図過去問です。学校のゼミ演習でMARCHレベルの過去問を演習していました。またこの頃実力判定英文法ファイナル難関大学編という参考書も一瞬取り組んでいましたが、この時の私にはレベルが高すぎて中々進まず、結局受験最後までやることはありませんでした、、そのため基礎補充としてNext Stage(通称ネクステ)に取り組むことにしました。そして国語と同じく塾で早慶向けの英語を受講することに決め、毎週通い実際に早慶大の過去問に触れていました。ここでは大問を何問か抜粋して時間制限付きで取り組む授業だったのですが、毎回安定して7割以上は取れていました。

高3 夏休み(7月-8月)

さあ、受験生の天王山である夏休みです。通い始めたばかりの塾でも早大向けの夏期講習が始まり、周りのレベルの高さ、真剣さに圧倒される日々を送っていました。この時期は夏期講習の空きコマは自習室に籠り、帰ってもひたすら勉強をしていました。量より質という言葉がありますが、私は質を自分で見極められない人間なので1日10時間は絶対勉強するようにしていました(笑)。この時Taylor Swiftの"White Horse"とEd Sheeranの"Galway Girl"にハマっていて自習室でどうしても集中できなくなったり1人の帰り道に聴いていて、今でもこの曲を聴くとしんどかった受験期を思い出します(笑)。特に8月の最後の方は勉強漬けで孤独の生活(私は塾に友達がいなかったので誰にも会うことがなかったです)により精神的にやられてしまい、全く食欲が出ずに心が折れそうになりました。ただその度に、毎日最大限の笑顔と優しさで送り出して応援してくれるお母さんや周りの友達を思い出して力を振り絞っていました。その頃の日記に、”私には応援してくれる人がいる、その人達に恩返しをしなくちゃいけないでしょ、だからやるんだよ!”と書いてありました。

この頃は全教科夏期講習を取っていたためその予習復習が主な勉強内容でした。
この頃から世界史と国語に関しては共通テストの過去問を解き始め、得点源にしたい英語は早稲田大学文系学部と国際教養学部の過去問に手をつけ始めていました。ただこの時にすでに早稲田の赤本を解いていたのは場数を踏むためではなく、単純に自分の苦手を見つけるためでした。私は元々英語が得意だったのですが、だからこそ苦手なものがよく分からないという問題があったので、難易度の高い問題を解くことによって課題を見つけようとしました。

世界史に関しては、予習復習に加えて東進の一問一答を続けてやっていました。この頃は段々と星が多いものも暗記していき、夏期講習で解く過去問にも出てくるような応用にも応えられるよう鍛えていました。またこの頃、時代と流れで覚える!世界史B用語という参考書も常に持ち歩いていました。この本は薄い本なのにも関わらず、地図付きで大事な用語は穴埋め式になっているため結局受験会場まで持って行くほど好きな参考書になりました。

国語に関して、現代文は夏期講習の課題や予習復習に加えて共通テストの過去問の問題も解き始めていました。この頃からとうとう古文と漢文に対する嫌悪感と苦手意識が芽生えてしまい、毎日夏期講習で講義を聞くだけで精一杯という感じでした。なので、古文漢文は講義の復習予習以外にあまり問題を解く気になれず、何もやらないよりマシだと思いひたすら漢字と古文漢文単語などの暗記系に時間を使っていました。

英語に関しては、この頃早稲田大学の過去問を解いて自分の課題と学部の問題傾向の分析、相性を研究していました。この時文系学部は安定して6.5割ほどの点数でしたが、国際教養学部はそもそも時間が足りなく制限時間内に全ての大問に時間を割けることができないという課題がありました。その為大問を一つずつに分けて、まずは時間を気にせず合っている答えを導き出す練習、その後に段々と制限時間を早めていきました。

★高3 夏休みの成果が試された模試

しんどかった夏休みが終わる最後の週に河合塾の全統記述模試がありました。夏休みが始まる前からこの模試で成果を出すことを目標にしていたので、とても緊張して、かつ結果を楽しみに受験しました。結果は、、

8月の最後の週 河合塾の全統記述模試

予想していた通りでした。決してこの結果が早慶を目指す受験生の中で一般的に高いとは言えないかもしれませんが、前回の5月の全統記述模試では

英語     65.7
国語     56.7
世界史  50.5

であった私にとっては大きな進歩でした。この時第一志望がE判定だとか、そういうことは自分の中ではどうでもいいことでした。実際に自分が夏休みを一生懸命勉強して、その結果前回より伸びたということ自体が心の底から嬉しかったのです。

高3 9 - 11月

夏休みが終わり、新学期がまた始まった9月からはとにかく内職をして、休み時間は各教科の復習、帰りの電車で単語と一問一答と、とにかく1秒も無駄にしてはいけないと勉強していました。ただそんな毎日でも、孤独で勉強していた夏休みとは比べ物にならないほど気持ちが軽かった記憶があります。毎日自分の努力を認めてくれる友達や家族がいることに自分はなんて幸せな人間なんだろうと思い、応援してくれる人に喜んで欲しい、恩返ししたいと勉強のモチベーションができていました。10月に入ると、どの教科も過去問を始めました。

まず世界史に関しては、学校の登下校の電車の時間帯を使って一問一答を1周していました。私は学校が自宅から電車で1時間ほどの距離だったので、単語の復習にちょうどよくこの時間帯を用語の確認に使っていました。またこの期間は塾も通常授業があったので、ここで段々と色々な難関大学の過去問を解き、ざっくりと大学別の傾向に触れる機会を増やしていました。とは言ってもいざ早稲田の問題を解いてみると問題の構成の複雑さに慣れずに、この頃はどう集中して解いても55%くらいでした。復習をしていると知らなかった単語が多くあったりして、それらを覚える作業がメインでした。

国語は主に塾の早大現代文という授業の課題と復習予習に時間を割いていました。古文漢文に関して、夏期講習の時は塾でも講座を取っていましたが、苦手意識がある中で早大レベルの問題を解くのは非効率と感じたので、特別講習以外は塾の授業を受講していませんでした。そのため、問題集としては実際の共通テストの問題を解いていました。この時は古文漢文の単語帳は完璧に覚えていたので、細かな文法ミスを赤本の解説を読み、それでも分からないところはインターネットで検索したりと自力で勉強法を模索していました。しかし依然として実際に早大の問題は60%前後の正答率でした。ただ救いだったのは、私の場合は共通テストよりも問題傾向がわかりやすい早稲田の現代文の方が得意でした。また小説が苦手だったため、集中して物語系の問題を多く解いて復習していました。

英語は主に塾で早慶大の英語の過去問、自力で早稲田の過去問をひたすらやっていました。この頃すでに英語は75%ほど取れていましたが、当時第一希望だった国際教養学部はやはり難しく、70%を下回ることも多々ありました。英語は学部によって問題傾向がかなり違っていたので、相性のいい学部とそうでない学部で点数にかなり差が出てしまっていました。ちなみに私の過去問の取り組み方としては、

①時間を測りながら解き、丸つけする
②間違っていたものをもう一度解説を見る前に解く(時間制限なし)
③解説を見て間違えた理由を明確にする → 苦手な範囲を補強
④その文章で知らない単語にマーカーして、覚える
⑤文章を見ただけで意味がわかるようになるまで毎日音読する

というものでした。これは試行錯誤して自分に一番合っていると思ったやり方で、人それぞれ合うやり方があると思いますが、私は音読をすることで単語力や文章を読むスピード、そして発音がとても鍛えられました。
またwritingに関しては、英検の準一級を受験したときに使用していた最短合格!英検準1級英作文問題完全制覇という参考書を愛用していました。パソコンでGrammarlyという英作文添削サイトの無料版を使用しながら毎日3つほど英作文を書くようにしていました。

★高3 最後の模試

記録が残っている中での最後の模試は、河合塾の全統プレ共通テストでした。この時すでに難関大学への推薦合格が決まっている子や、海外大学への進学が順調に進んでいる子が多い中、一般入試で早慶以上を狙っている子は私の学校では少数派でした。そのこともあり、私の周りの友達は切羽詰まっている私を本当にいつも励ましてくれていました。期待を裏切りたくない気持ちや、単純にいい結果を得なければいけない焦りで当日はかなり緊張しました。結果は、

11月半ばの全統プレ共通テスト

最後までE判定でした。しかし、必ずしも早稲田でE判定を取ることと、受からないことは紙一重ではない。そう思うしかなかったです。この時くらいに塾で面談があり、チューターの方に、”〇〇(私の名前)は早稲田は相当頑張らないと厳しいね”と言われました。これには精神的にやられました。ただ、自分の頑張りを一番知っているのは自分であって、厳しいの一言で落ち込んでいる時間に新しいことを一つでも覚えれば受かる確率が上がるなら、早く復習しようと思いました。(もうこの頃はどうしても気持ちを上げないと乗り切れませんでした。)

高3 冬休み(12月-1月)

冬休みに入り学校がなくなると、一気にラストスパート感が出て今まで以上に受験勉強に力が入りました。その結果、学校が終わる最後の週には無理のしすぎでひどい風邪を引いてしまい数日寝込む羽目になりました(笑)。また、受験が終わったらずっと行きたかったディズニーのミラコスタに行こう!と心の中で決めて、休憩時間にミラコスタの予約を取ったり、だんだんと見えてくる終わりに胸をときめかせながら年末年始は比較的気持ちが穏やかに過ごすことができました。冬季講習期間でもあったので自習室にも毎日籠り、1月1日にも、元旦に休んでいる人と差を付けるのだと意気込みながら誰もいない自習室で勉強したのを覚えてます(笑)。
そしていよいよ出願した1月中旬。自分で出願資料を用意していて、何度も出る"万"という字の重みを実感しました。親にこんなに支えてもらっているのに甘えている場合ではないと、最後まで頑張ると最後の決意をしました。

世界史は冬季講習で最後の追い上げをし、自習では今まで使ってボロボロになった一問一答とMARCH以上の過去問を使って対策していました。この頃には一問一答もほとんど覚えていて、ひたすら繰り返していました。MARCHの世界史は80%を取れるようになり、間違えた問題を通して新しい知識を取り入れていました。早稲田も問題傾向に慣れてきて70%まで正答率が上がりました。似ている名前で間違えたり2択で間違えたりなどの致命的なミスもあり、細かい間違いをしないように復習に時間をかけていました。

国語も同じように、この頃はとにかく過去問を解いてその学部の問題傾向と照らし合わせながら最適解を導き出すことに注力していました。やはり国語は過去問の数を重ねるごとに文章自体を早く読む癖がつき、また自分の苦手やその大学の問題傾向を知ることにも繋がるので他教科よりも演習重視の勉強をしました。この頃にはMARCHは安定して80%、早稲田は70%ほど取れるようになっていました。

英語はどの大学も大体8割ほどを安定して取れるようになっていました。とは言っても、世界史と国語が回によって点数にばらつきが出ていたため英語で失敗するわけにはいかないと落ち着くことはできませんでした。この頃には早稲田の志望学部の問題はどれも10年分ほど解いていたので復習時にはひたすら音読を繰り返していました。また私は受験にWritingが多くあったので、Smart Newsの英語版を毎日読んで重要な表現をメモして音読・暗記していました。これは後々時事問題を出すことが多いWritingで高得点を取るのに直結しました。

★共通テスト

共通テスト当日、寒い中向かった会場で、すでに合格が決まっている親友から応援のお菓子をもらい、たわいのない会話をして、背中を押してもらいました。今までやってきたんだから大丈夫。落ち着いて、全力で。と言い聞かせてテストに臨みました。
しかしテストが終わった後まず最初に思ったことは、終わった。でした。英語は高得点の感触があったものの世界史と国語が上手くいかず、親にどう顔向けしようと本当に落ち込みながら帰りました。その日の夜、解答速報が出て採点すると、
英語      96%
世界史   73%
国語       72%
でした。(正答率しか記録が残っていなかったです🙏)
これは、英語以外を共通テストの点数で提出する早稲田の国際教養に受かる点数ではありませんでした。元々頭の良い大学に行きたかったわけでも、知名度の高い大学に行きたかったわけでもなかった私が早稲田を目指そうと思ったきっかけは国際教養学部でした。これからどこを目指せば良いのだろうか、もはやどこも上手くいかないんじゃないか、といつもの私では信じられないほどネガティブになりました。解答速報が出たときは1人でいたいと言っていたので、実際に親に点数を伝えたのは次の日のことでした。お母さんに点数を伝えると、花が咲いたような笑顔で、”すごいじゃん!本当に頑張ったんだね。今日くらいは休んで、明日からまた切り替えようよ。”と言ってくれました。そこでやっと、ここで頑張ることを諦めたら今までやってきた自分を裏切ることになる、と気持ちを切り替えることができました。

それからはまた共通テストの内容の復習から始まり、今までしていたように過去問やその復習を通して、大学の傾向に慣れる作業をしていました。

★志望校受験当日〜最後の受験の日

いよいよ2月になり私立大学の受験が始まりました。ここまでやってきたことを落ち着いて振り絞るだけ。そんな意外に落ち着いた気持ちで最初の受験をしに行きました。最初の受験校は明治学院大学の国際系学部でした。私の場合、一番最初は志望順位が低い大学でしたが、国際系に進みたいという理由で志望校を選んだ私にはどこも魅力的な大学だったので本気で挑みに行きました。

緊張よりワクワクした受験開始日

この日の問題は英語のWritingがSmart Newsや英検の英作文で何度も練習したことのある質問だったのでテンプレートが頭にあり、それを書くことができました。Wrting以外の自己採点で英語は満点を取ることができ、その他の教科も共通テストよりも圧倒的にできた感触があり、安心して次の受験校に臨むことができました。

その後上智大学、法政大学と駒を進めました。中でも上智大学は一番できた感触が有り、年によって大きく点数に差があった私にとっては大きな安心感につながりました。法政大学ではGISのみを受験しましたが、A方式だったため英語は英検のみを使用し、国語と世界史を受験しました。国語は漢文がないこともありどうにか乗り切ることができ、世界史も無事にそこそこの感触を掴むことができました。

その後は立教大学の3学部でした。立教大学は受けようと思えば複数の日程を受験することが出来ますが、私の場合はほとんどの日程が他大学と被ってしまい、2日程のみ受けることになりました。1日目は今までにないほど簡単に思えて帰り道に友達に、”ごめん受かるわ”と言ったのを覚えています←。その結果見事落ちました(笑)。2日目の日程は前日の試験より難しく感じ、最後まで何回も見直しをしました。

そして今となってはほぼ受かる確率のない国際教養学部の受験日になりました。この頃は、共テの時点ですでに厳しいSILS(国際教養学部)の受験勉強をするのが現実的ではなく、形式も残りの大学、学部とかけ離れていると判断したためどちらかというとSILSを記念受験と位置付けて残りの大学の試験勉強に時間をかけていました。ただ、全く頭になかった早稲田大学を受けるきっかけとなった学部でもあるので精一杯ぶつかってこようと思っていました。出題に関して、この年はJ・Sミルという世界史で習った哲学者の文章が出ました。最初に問題を見た時にあまりにも知らない単語が多く、文章内容もかなり抽象的で、これは無理だ。とかえってスッキリしながら問題を解いたのを覚えています(笑)。出来は言うまでもなく悪かったです。ただ自己採点の文字も頭になかったほど、キッパリと気持ちを次の入試へ切り替えることが出来ました。

次は青山学院でした。国際政治経済学部国際政治経済学科のB方式のみ受けた私は受験科目は英語だけで、論述問題が主な形式でした。他大学でも論述が多く出たおかげで受験期間中も割と論述の練習が出来たので、当日もいつもの練習のつもりで落ち着いて取り組むことが出来ました。

そして青山学院を受けた日に上智大学、法政大学、明治学院大学の合格発表がありました。結果は、

上智大学 外国語学部  補欠
法政大学 GIS      合格
明治学院 国際系3学部 合格

でした。浪人という選択肢が無くなった安心感はありつつも、あんなに自信のあった上智大学が補欠だったことにショックを受けました。補欠の順番は前の方だったのですが、第一に募集人数が少なかったこともありこのまま受からないのではと不安になりました。しかしまだ最後の試験である、早稲田大学教育学部が控えていました。国際系の中では一番レベルが高いSILSがあるからという理由で目指した早稲田でしたが、勉強するうちに早稲田自体に受かりたいと思うようにもなりました。というのも早稲田大学は、最初は勉強なんて真面目にしたことのなかった私が、高2の12月に母と見てから一年間本気で、死ぬ気で勉強して目指した大学だからです(こちらに関しては前編に述べております)。私を学力だけでなく全てにおいて成長させてくれた大学でした。最後に今までの全部をぶつけるつもりで最後の日を迎えたのでした。

いよいよ最後の受験日、早稲田大学教育学部の受験日がやってきました。行きの電車に乗りながら、”次は早稲田、早稲田です”という電車のアナウンスが聞こえると泣きそうになりました。全力を出すから、お願いだから受からせて、という気持ちで試験に臨みました。ど緊張の中受けた試験が終わり、ほっとした気持ちが大きく、これで落ちても何も悔いはない。と思いながら帰りました。自己採点をすると、英語は93%、世界史も75%ほど取れていたので安心して国語の採点をすると、、何回も確認したはずの漢文の回答が途中からずれていました。これほど自分を責めたことはありませんでした。その結果国語は70%ほどに留まってしまいました。思い切りやったから結果はどうなってもいいと思い、最後はスッキリと受験を終えることが出来ました。

そして数日後、教育学部を除く残りの大学の合格発表を迎えました。結果は、

早稲田大学国際教養学部       不合格
上智大学外国語学部         補欠合格
青山学院大学 国際政治経済学部   合格
立教大学 国際経営         不合格
     異文化コミュニケーション 合格
     観光学部         合格

という結果になりました。当初の大本命の国際教養学部は落ちてしまいましたが、全体としては満足のいく結果になりました。ただこの時すでに法政大学のGISに入学金を払っていたこともあり、学部の特徴で言えば受けた中で一番SILSに近いGISに進学するつもりでいました。あとは早稲田の教育の発表にかけていました。

★最後の合格発表

早稲田大学教育学部の発表日になりました。私はこの日より前に念願のミラコスタに女子旅をするほど気持ちの面では整理がついていたので、多分落ちてるだろうな〜という軽い気持ちで合格発表の時間まで布団にくるまっていました。ただ見ないわけにはいかないし、気になりはしたので実際には時間になった瞬間に合格発表の画面を開きました(笑)。入力事項を全て入力し、深呼吸をして、震える手で合格発表のボタンを押しました。すると見えたのは、

学科を隠しています、ご了承ください🙏

”合格”の文字でした。最初に見た時は何かを間違えたのかと思い何度も確認しました。何回打ち直しても変わらない結果にようやく状況を理解し、その時家にいたおばあちゃんに泣きながら報告しました。よかったねえ、よかったねえ、と一緒に喜んでくれるおばあちゃんを見て、やっと合格を実感し心から嬉しい気持ちになりました。1年前、早稲田受けてみる?って話出たんだよね〜、と笑いながら家族に話してから今まで、これほど何かに本気になったことはありませんでした。仕事中の家族にLINEで報告すると、全員が泣きのスタンプで喜んでくれました。友達もビデオメッセージで喜んでくれました。それはもう人生で1番幸せで満たされた時でした。GISに進学すると思っていた私でしたが、これほどの合格した感動を味わわせてくれた早稲田に、やはり進学することにしました。

こうして無事に私の受験物語は幕を閉じたのです。

最後に伝えたいこと

今受験を控えていていまいちやる気が出ない方、本気で頑張っている方、絶対に努力や頑張りは無駄になることはないです。受験は第一志望校に合格することだけが全てではないです。ゴールが来るその時まで、死ぬ気で頑張った。そう思える機会は人生でそう多くないと思います。折角受験という道を選ぶことになったなら、たった1度、あなた史上1番の本気を出してみてください。辛いことはありますが、苦痛だけではないはずです。
私は最後の最後まで第一希望はE判定でした。この判定や、これを元に判断する周りに流されないでください。自分の頑張りを一番知っているのは自分です。しかし、疑いなく自分は頑張っているんだから大丈夫、と言えるほどの努力をするのも自分です。全てが終わった時の自分に憎まれないようにするのは今の自分しかいないです。全ては自分次第なのです。
私は受験を通して、本気で努力した先に初めて味わうことのできる達成感を味わうことが出来ました。自信を持って一番頑張った、と語れることが出来ることは最高に価値のあることだと思います。

最後に、ここまで長い体験記をご覧いただき本当にありがとうございました!


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