千夜千遊:1夜 『モノポリー』
ボードゲームは結局のところ、誰と遊んだかが全てのような気がしている。気の知れた人だから許される、無茶なルール・設定がボードゲームの楽しさをより一層引き立てる。ぼくはそんな1つの箱が作るプレーヤー同士の不思議なゲーム空間が好きなのだ。
実家の『モノポリー』は1935年スペシャルエディションだった。ムダに重厚さな金属製の箱。精巧に作られていた金属のプレーヤー駒。明らかに年季の入ったお札。それら全てに、小学生ながら父の手垢を感じていた。
ぼくのボードゲーム人生は、そんなスペシャルな『モノポリー』によって始まった。人生で一番初めに遊んだボードゲームである。父が大学生の頃から使っていたという我が家のモノポリーは当時、実家の物置部屋でホコリを被っていた。そこには、映画『ジュマンジ』で、屋根裏部屋から発見されたゲームのような魅力が宿っていた。
『モノポリー』では、環状のマス目をすごろくのように、サイコロの出た目にそって自分の駒を進めていく。それぞれのマス目は、アメリカの土地名が書かれていて、あるマスに止まるとその土地を買うことができる。しかし、他人の土地に止まってしまうと通行料を支払わなければならない。だいたいそんなルールである。
『モノポリー』で面白いのは、色で区分けされた2〜3土地を、ゲームタイトルの通り“独占”できると、もらえる通行料が上がり、そしてゲームに有利になる。しかし、全ての土地を自分の”運”で集めることはできない。そこで、プレーヤー間の「交渉」が始まる。この「交渉」がゲームの肝なのである。この「交渉」で、父に何度も泣かされた。
しかし、交渉からは多くのことを学んだ。人の顔色とか、作戦の立案とか。プレーヤーとの距離感によって交渉内容も変わってくる。「この通行料払わなくてもいいから、コンビニで何か買ってこい」なんて交渉もした。その次によく遊んだ「カタン」というボードゲームも交渉がカギになるゲームだったので、ずっと「ボードゲームとは全て交渉をするもの」だと思ってたくらいだった。
ちなみに、『モノポリー』は、その歴史を遡ればその複雑さに驚く。20世紀初頭に誕生した『モノポリー』は、元は資本主義を批判するためのツールとして開発されたが、権利が行ったり来たりして、結局は資本主義を後押しするような内容・ルールに落ち着いた。この皮肉めいた、しかし人間味のある誕生秘話を個人的には好いている。
今では、実家の『モノポリー』はプレーヤー駒やお札もいくつかなくなっている。でも、今後どれだけ駒がなくなっていても、おそらくボードゲームの楽しさは変わらない。楽しい人とプレイすれば、どんな駒でも補われ、どんな無茶な交渉でも可能になる。物置部屋でそんな魅力的な箱を開けてしまってからは、ずっと家族や友達とボードゲームをしていた。今ではボードゲームの仕事までしている。もしかしたら、ぼくはジュマンジのように未だにその不思議な箱の中の世界から抜け出せていないのかもしれない。
大切にボードゲームに変換させていただきます。