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諦めを求める立場の政治から、新しい現実を生産する政治へ

 わたしたちは、諦めという名の合意形成に馴れさせられてはいないか。問題への対応を先送りにし、より厳しい状況へ追い込まれ、すでに多くの選択肢が失われてから、大きな失望の中で、苦渋の選択への理解を人々に求め説得する政治。「他に選択肢がありますか」「これしか無い」よく政治家が使う言葉だ。しかし、私は人々を説得することが政治の役割だとは考えていない。
私は、政治はいま本当に機能しているのかと問いたい。諦めの積み重ねによって、政治不信や疎外感、無関心が増幅され、仲間内による馴れ合いの惰性的な政治が蔓延ることになってはいないか。

 まずは、「選択」という視点から見てみよう。重要な決断が先送りされ、限定的な対策を小出しにしている内に、有利な選択肢が次第に失われ、選択の余地が無いほど状況が悪化するまで先送りされる。戦争終結の決断から先の原発事故まで、同じ過ちを繰り返されてきた。
 指導者たちに決断力の欠如があったことは間違いない。強力なリーダーシップを待望する声が絶えない理由もそこにあるのだろう。だが、原因はそれだけではない。私は、選択という言葉そのものに大きな落とし穴があると思っている。
多くの選択は、組織が拠り所とする縦割りの中(仲間内)で作られる。つまり、それらは限定された可能性の中にある。とりわけ行政や官僚などの組織が示すことができる選択肢では、専門分化した縦割りの枠組みに納まる「組織の論理(フィクション)」を優先される。そのため、大抵は多様で複雑な社会には対応できず、状況をカバーすることはできない選択肢しか示されない。ここに諦めの種が蒔かれる。

組織の限界が、政策決定に影を落とす。まず、自らの組織内で、つぎに他の組織との利害調整を重ねる中で、政策の目的が削ぎ落とされ、形骸化し、本来の目的から外れていく。諦めの芽は組織の中ですくすくと育ち、花を咲かせる。自己満足の花。組織の中で生きる者達の自画自賛、相手にこちらの立場を認めさせ、うまく折り合いをつけ、よく調整できたと満足する。そして、評価される。政策の実現といっても、政策は抜け殻となり、組織の立場を守ることができたという達成感しか残らない。政策と現実との間にズレや障害が生じても、手続きに問題がなければ良い。それで、批判をかわし押し通せれば出世できる。

後は、諦めの果実を結実させること。人々に、組織の限界を共有させる作業だ。ここからが、政治家の出番だ。「組織の現実」の中で展開される立場のネットワークを利権や既得権益で固め、多数派(仲間)を形成して採決を強行する。この繰り返しが、諦めの果実「仕方が無い」(政治疎外)を、人々の心の中に結実させていく。結論はいつも同じ、「組織の限界を受け入れてください。これが現実です」。彼らは「理解して下さい」と言うが、それは「私の立場を理解して下さい」という意味でしかない。なぜ、私たちが彼らの立場を守ってあげなければならないのか。彼らの限界が、何故わたしたちの限界でなければならないのか。馬鹿馬鹿しいと思わないか。政治と市民を隔てる溝は深まるばかりだ。

 当たり前だが、組織のために政策や事業があるのではない。人々に役立つ政策や事業のために組織があるのだ。ところが、現実は逆転している。縦割り組織の中で充足し仮想現実の中を生きる官僚や政治家が考えた政策や事業が、そのまま現実の社会に持ち込まれたらどうなるだろうか。もう多くの公共事業がその答えを教えてくれている。止まらない無駄な公共事業。目的が失われた公共事業がいつまでも継続されていく。霞ヶ浦導水事業もその一つだ。縦割り組織が産んだ仮想現実とそこに巣食う利権政治によって、私たちの現実が次々と食い荒らされていく光景が見えてこないか。

 政治が機能しないと言われている。では、政治に求められる機能とは何だろうか。単に官僚や行政機関を連携させひとつの政策に向けて束ねることか。ただ、今の政治は政治主導を唱えながら、それさえ出来ていない。政策で競えないから政局で世論を騒がせ、お茶を濁していることくらいは、みんな知っている。
では、もし政治主導が実現して、縦割り自己完結型組織を連携させ束ねることができたとしたら、果たして、それで「組織の現実」を乗り越えることは出来るのだろうか。

組織の現実とは、固定された点(消失点)に向かって全ての線が収束する遠近法である。政治主導と言っても独裁的になれば、一点に向かって収束する強力な遠近法になる。

 私が考える「政治に求められる機能」とは、新しい現実を生産することだ。世の中から諦めの種を除く方法を考え実現することだと考えている。組織の現実(立場の遠近法)の中で官僚や審議会の学者達(専門分野という遠近法)と一緒になって、諦めを育て上げ、国民を説得し合意形成(諦めの結実)をはかることではない。
これからの政治には、遠近法とは異なる新たな表現で組織を描き込む、アートが必要だ。一点に収束するのではなく、数多な動く線によって描かれていく、例えば、ジャクソン・ポロックの絵画の様に。政治は、全ての人に宿り動くアートだ。

 組織の現実をただ受け入れる調整型の政治は、無能と言わざるを得ない。政治には新しい現実を生産する力が求められる。組織の現実(立場のネットワーク)によって動きを止められた社会に動きを取り戻すために、どのようにしたら新しい現実を創り出していくことができるのか。それには、説得ではなく、新しい現実の生産を行い、具体的な方法を発明し、具体化していく営み(アート)が必要だと思う。

 新しい現実の生産には、「組織の現実」や「縦割りの壁」の破壊ではなく、それらの創造的な乗り越え(自らも含む変容=溶かす、溶ける)が必要だ。縦割り専門分化した自己完結型組織の壁を溶かすには、現実の生きた社会の中で、その方法を見つけ出すしかない。それは実現可能だ。なぜなら、現実社会には縦割りに違和感を持ち続ける生活者が居り、縦割りを受け入れない(破壊される)自然生態系があるからだ。そして、何より重要な子どもという主体がいる。

人々と生き物の生があり、繋がりに支えられ繋がりを求める「生きる力」がある。この力を感じ取りながら、地域に眠る多様な社会資源を発掘し、それらを縦割りを越えて自在に組み合わせ、新たなつながりから公的な機能を再構成し、社会的な価値を浮上させる創造性が、これらからの政治には不可欠だ。問題解決型から価値創造型(新たな現実の生産)へと社会を導く実践(生きるための政治)こそが、本来の政治の醍醐味ではないのか。

 手前味噌になるが、ここにひとつの例を紹介したい。
市民型公共事業アサザプロジェクトが1997年から提案している霞ヶ浦の逆水門の柔軟運用案がある。国交省が1974年から閉め切っている霞ヶ浦の逆水門の柔軟運用を実現できれば、海から多くの魚が湖に入り、漁業が再生し、水辺環境の改善効果を含め年間308億円の漁業利益増(その他に加工や流通、観光等への経済波及効果は数倍に増加)が見込まれる。
漁獲が増えることによって魚体を通した窒素やリンの湖からの除去が可能となり、現在年間100億円近くかけて国交省が実施してきた湖からの窒素・リンの除去事業(浚渫)の何倍もの水質浄化効果が期待できる。その他、この案には地域経済の活性化や雇用創出、余剰工業用水の活用、観光振興、自然再生などの多くの波及効果が見込まれ、浚渫工事などの事業支出を減らし、同時に税収を増やすことが出来る。マイナスをプラスに転換する価値創造型事業が実現することになる。(この提案については、NPO法人アサザ基金のHP(asaza.jp)逆水門の柔軟運用の提案を参照)
 この政策には、省庁間の縦割りの壁を溶かすミクロの政治が必要となる。関係する省庁等は国交省、農水省、経産省、厚労省、環境省、水産庁、茨城県、関係市町村など数多くある。立場のネットワークに依存した政治家には、このような他省庁を跨いだ政策を構想すること自体ができない。

既存の政治では、縦割りの壁を跨ぐか壊すかしか方法が思い付かないのに対して、新しい現実を生産する政治はそれらの壁を溶かし膜にして通り抜ける方法を考えることができる。この政治は、縦割りに拘束されない生活者の生活を起点に展開させることができるからだ。しかし、行政の下請け化した市民団体やNPOにはできない。ミクロの政治が活発になり、多くの縦割りの壁を溶かして、膜に変え通り抜けるようになれば、社会を本当に変得ることができる。

このように生活者の視点を活かし、それぞれの地域に縦割りの壁(選択肢)に拘束されない、足もとに潜在する新たな文脈(生きている現実)を次々と展開していく、それが市民による政治だ。このような動きが全国各地に広がれば、新しい人やモノや金の動きが生まれ、それらの新たな文脈によって公益的な機能が浮上し、それにより歳出の大幅な削減が可能となり、地域経済の活性化による税収増も見込めるようになる。
このような政治が国や地域の潜在的な可能性を浮上させることで、これまでとは全く異なるビジョンが描けるようになるはずだ。政治は可能性の芸術であると云われる所以が、そこにある。

 人々が、立場に縛られたプロの政治家による諦めという選択「説得の政治」「限界の共有」から脱却し、自らの生活から立ち上がる「地域の方法」(新しい現実の生産)へと目を向けるならば、今とは全く異なる新たな現実(潜在的な可能性に満ちた今)を目の当たりにするだろう。そうなれば、わたしたちは諦めの種ではなく、希望の種を至る所に蒔くことができる。
だから、今の政治に失望しても、決して政治から離れてはならない。ひとりひとりが真の政治を身近に引き寄せる時が来たのではないか。
 
2012年8月16日 

飯島 博


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