いいじまひろし

壁を溶かして膜に変えるお仕事をしています。

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最近の記事

分散した多様な個を結ぶ「何か」を求め

不安の中に感じる潜在的な可能性         戦争や紛争が相次ぎ、対立と分断が至る所で顕在化しています。それらによって温暖化対策など人類の存続に関わる危機への対応は遅れ、日々深刻さは増すばかりです。人類は今、間違いなく大きな岐路に立たされています。 しかし、「岐路に立つ」ということは同時に、潜在的な可能性が試される人類のフロンティアが目の前に広がっているということでもあります。 SNSによって顕在化した世界の分断と対立 人類全体が直面している課題に取り組むためには、人

    • 歌枕の森~時間を溶かす風景

      灰〜記録による忘却 記録は、時間を固める。 記憶は、時間を溶かす。 記憶は、記録に置き換えられていく。 記録は、外へと書き出す運動。 ただ、その外には外が無い。 記憶を剥ぎ取られた空間は、区分けされ、 消費されていく。 記憶は、灰になる。 火〜土地の聲に応える。 講演や授業で旅先に行くと、風景から何かを読みとろうとしている自分に、ふと気付くことがある。其処に居る誰かを探し求めているような、何処からともなく発せられる聲に向けて、無心に耳を傾けているような、不思議な感覚を持

      • 馬と人が作る、湖の再生に向けた森の道プロジェクト

        霞ヶ浦再生への道作り 霞ヶ浦流域では、水源となり湖の健全な水循環を支えている森林の保全が喫緊の課題となっています。 流域に占める森林の面積は2割程度しかなく、霞ヶ浦の保全や再生を図っていく上で、これ以上の森林の減少は避けなければなりません。 現存している森林の多くは、長年人の手が入らず、薮化が進み、里山の生物多様性が失われ、獣害の増加、防災や防犯といった観点からも問題となっています。 霞ヶ浦の再生には、森林の広域的な保全再生が不可欠。  私たちは、霞ヶ浦流域に位置

        • #提案祭りで、選挙の壁を溶かそう!

          選挙は、勝敗を賭けた一部の人たちによるお祭り騒ぎなっていませんか。 実際、投票率は低下傾向が続いています。投票率が、50%を下回る選挙も稀ではありません。 大半の市民が参加しない選挙のあり方が、問われています。 選挙のあり方を変えたい。 だからといって、大衆を巻き込んだ熱狂が必要だとは思いません。 わたしは、選挙を新しい形の祭りにしたいと思います。(私達とか我々とかいうあやしい言葉は、あえて使わないことにしました。) 選挙を、八百万の神々が集う祭り(饗宴)にしたい

          問いの力で、ウナギを呼びもどそう。

          毎年土用の丑の日が近づきて来ると、ウナギが激減しているという話題が報道されます。しかし、マスコミの取り上げ方を見ていると、どこもウナギの完全養殖技術の開発に関する話題ばかり、なんか変ですね。 完全養殖が実現したらウナギは復活するんでしょうか? ベンヤミンは、「技術は人間と自然の関係を支配する」と言っています。 私たちの社会は、技術に依存するあまり、ウナギが投げかけている大切な問いを、忘れているのではないでしょうか。 地球の生物多様性が失われつつある現代、地球的課題に真正面から

          問いの力で、ウナギを呼びもどそう。

          戦争と平和〜答えの共有と問いの共有を繋ぐ糸

          このところ、思考を強いられ続けている。 立て続けに起きる重大事態への驚きと困惑、この混迷の時代にあって自分にはどんな生き方ができるのか、アサザプロジェクトには何ができるのか、いったい何の意味があるのか。無力感や絶望感に苛まれながら、深く考えずにはいられなかった。 葉しずくに   平和もとめて   灯す問い      龍動 ドストエフスキーの予言 今年の3月に起きたロシアによるウクライナ侵略は、世界中を震撼させた。プーチン大統領は核兵器の使用も厭わないと表明している。それ

          戦争と平和〜答えの共有と問いの共有を繋ぐ糸

          問いの連鎖で壁を溶かし膜に変える価値創造型学習

          霞ヶ浦は社会の有り様(縦割り型社会の限界)を映し出す鏡  はじめに私達の取り組みの拠点となっている霞ヶ浦についてお話しします。霞ヶ浦は琵琶湖に次いで、日本で2番目に大きな湖です。東日本最大の湖です。霞ヶ浦は、西浦、北浦、外浪逆浦、常陸利根川などによって構成され、利根川水系の最下流部に位置しています。  流域面積は約2200平方キロメートルと広大です。関東平野の東側に位置しほとんどが平地で、水田が約20%を占めています。水源となる森林は約20%と多くありません。流域の南部が東京

          問いの連鎖で壁を溶かし膜に変える価値創造型学習

          別の道を創る〜ゼノンと馬に乗って水の道を巡る旅。

          人はなぜ、立ち止まって考えるのか?  一度立ち止まって、考えてみてはどうだろう。 よく耳にする言葉だが、不思議に思うことがある。ひとは、なぜ立ち止まって考えるのか。考えるという事と、立ち止まることや動きを止めるということは、どのようにして結び付くのか。 絶え間なく動き、変化し続ける現実の中にあって、状況を理解することも、考えをまとめることも、確かに難しい。幾重にも情報が錯綜し、翻弄され迷い続けるよりも、一度立ち止まって、動きを止めて見て、情報を整理してから、考えをまとめてみ

          別の道を創る〜ゼノンと馬に乗って水の道を巡る旅。

          ウイルスとアニミズム

          対話〜距離と隔たりに宿る知性 世界は、昨年から新型コロナウイルスによって翻弄され続けている。その影響は、いま社会のあらゆる分野に及んでいる。 ウイルスは、遥か昔から生物の進化に揺さぶりをかけてきた。ウイルスは、生物の親から子へという同種内での垂直的な情報伝達の流れに対して、種の違い(壁)を越えた水平の流れを作り出してきたと云われている。 今回の新型コロナウイルスもコウモリからヒトに感染したと考えられている。毎年流行するインフルエンザも鳥からブタやヒトへと感染する。ウイルスは

          ウイルスとアニミズム

          不自由さの中に見つけた新しい自由の芽

           この一年、世の中は大きく変わりました。私自身も、これまでとは異なる一年を過ごすことになりました。  昨年の2月頃までは、毎週のように飛行機や新幹線に乗って全国各地に行き、地域の小学生たちと一緒に地域づくり学習を行っていました。(実は、移動が多すぎて酷い腰痛になっていました。)  ところが、コロナの影響で一変、県外への出張授業は突然なくなり、代わりにオンライン授業が増えました。(それで・・・腰痛は治りました。)  これまで20年近く、山間部や海辺、農村部、都市部など様々な環

          不自由さの中に見つけた新しい自由の芽

          社会の壁を溶かし膜に変える中心の無いネットワーク 市民型公共事業・霞ヶ浦アサザプロジェクト(7)

          第7回は、管理の発想が壊す自然と社会、制度と法律を先行させない、モデル事業の罠など。 問いに応える中から様々なネットワークが生れてきた。  アサザプロジェクトは、霞ヶ浦流域全体(約2200㎢)を視野に入れた取り組みを行ってきた。プロジェクトを開始した1995年以来、私たちは、どのようにしたら広大な流域全体へ、効果の及ぶ事業を展開できるのか、26年間ひたすら問い続けてきた。 問いと向き合う中から生まれてきたキーワードが、「中心の無いネットワーク」や「分散した多様な個によるネ

          社会の壁を溶かし膜に変える中心の無いネットワーク 市民型公共事業・霞ヶ浦アサザプロジェクト(7)

          社会の壁を溶かし膜に変える中心の無いネットワーク 市民型公共事業・霞ヶ浦アサザプロジェクト(6)

          第6回は、社会の壁を溶かし膜に変える。破壊-構築のサイクルからの脱却。社会のホルモンとしての機能。批判を恐れず作り手になる等。 壁を壊すのではなく溶かし、膜に変える。  アサザプロジェクトは、自然のネットワークに重なる人的社会的ネットワークを、地域の人々の生活文脈に沿って広げ、縦割り組織の壁を越えた繋がりを社会に生成させようとしている。つまり、社会に縦割りの壁を越えた出会いの場を開き活性化させようとしている。  この取り組みは、従来の組織改革「組織の壁を壊し、取り払い、再

          社会の壁を溶かし膜に変える中心の無いネットワーク 市民型公共事業・霞ヶ浦アサザプロジェクト(6)

          社会の壁を溶かし膜に変える中心の無いネットワーク 市民型公共事業・霞ヶ浦アサザプロジェクト(5)

          第5回は、民主主義、距離と隔たりに宿る知性、市民参加から行政参加へ、開かれた技術、問いの共有などについて紹介します。 距離と隔たりに宿る知性と民主主義  中心に組織の無いネットワークでは、取り組みがバラバラになってしまうのでは?という疑問を持たれるかもしれない。  アサザプロジェクトは、確かに、分散した多様な個によるネットワークの展開や個々の人格が総合化の起きる場として機能するネットワークの展開を目指している。  ここで言う分散とは、距離と隔たりに宿る知性のネットワーク

          社会の壁を溶かし膜に変える中心の無いネットワーク 市民型公共事業・霞ヶ浦アサザプロジェクト(5)

          社会の壁を溶かし膜に変える中心の無いネットワーク 市民型公共事業・霞ヶ浦アサザプロジェクト(4)

          第4回は、個々の人格が場として機能するネットワーク、子どもの学びが創る社会、子どもと大人の協働、私を取り戻す新しい知性などを紹介します。 分業を担う個としてではなく、総合化が起きる場として生きる。  分業化が進む社会では、部分最適の枠組みの中で、人や物が役に立つか?立たないか?と選別されていく。フルイにかけられ、役に立つものだけが残るが、今度は役に立つものから機能だけが抽出され、人工的な機能(システム)に置き換えられていく。やがて、役に立つものも無用となる。全ての人も物も

          社会の壁を溶かし膜に変える中心の無いネットワーク 市民型公共事業・霞ヶ浦アサザプロジェクト(4)

          社会の壁を溶かし膜に変える中心の無いネットワーク 市民型公共事業・霞ヶ浦アサザプロジェクト(3)

          私たちは、どんなことを考えながらやってきたのか。第3回は社会を覆う諦めからどう脱出するのか。問題を資源化するなどについて。 諦めがつくる部分最適化の世界  霞ヶ浦流域には24の市町村が含まれ、茨城県、千葉県、栃木県の3県にまたがっている。流域は、省庁や県、市町村などの縦割り行政に覆われている。だから、流域全体を視野に入れた総合的な取組みの展開は、行政に依存したり、既存の発想や制度的枠組みに囚われている限り実現できない。  流域管理という言葉は以前からあるが、実際に流域管理

          社会の壁を溶かし膜に変える中心の無いネットワーク 市民型公共事業・霞ヶ浦アサザプロジェクト(3)

          社会の壁を溶かし膜に変える中心の無いネットワーク 市民型公共事業・霞ヶ浦アサザプロジェクト(2)

          私たちは、どんなことを考えながらやってきたのか。第2回も開始当時(1995年頃)から始めます。 公共事業のあり方が問われていた。  縦割り化した事業では、人や物や金の動きが固定化し、既得権益が蔓延りやすくなる。アサザプロジェクトが始まった前年(1994年)には、大規模なゼネコン汚職事件が起き、霞ヶ浦もその舞台となった。地元では、茨城県知事が逮捕され社会は騒然となり、公共事業のあり方への疑問や批判が社会全体に広がっていた。  指摘されていたのは、公共事業の透明性の確保や情報

          社会の壁を溶かし膜に変える中心の無いネットワーク 市民型公共事業・霞ヶ浦アサザプロジェクト(2)