ライター1発目の仕事が「風俗体験レポ」だった。その後、彼女にバレて別れ話
「〇〇さんからご紹介いただきました!りゅうと申します!」
「現在は学生でWebライターをしています!」
「募集の件興味がありDMさせていただきました!お話、お聞かせ願えますと幸いです!」
我ながら学生にしては、丁寧な物言いをしているのではないだろうか。
不躾なDMにも、丁重に、優しく対応してくださった当時のクライアント様は、ずっと自分の中の記憶には残っていて、交流の機会をいただけたことに大変感謝している。
はじめに、訂正しておくと、厳密には1発目の仕事というより、そのメディアで1本記事を書いた後、2本目の取材体験談を決行したというのが全体の流れだ。
多くの人に読んで欲しくて少し誇張した表現をしてしまったのは許してほしい。(いちおう1本目の記事は昔に行ったデリヘルの体験談である)
今回は、そんな卑しい僕の自分語りを少しだけさせてもらう。
↓「月額500円」のメンバーシップ※1記事300円
Webライターを始めてから7年目になった。
始めた当初は仕事を選ぶという概念がなく、とにかくいろんな仕事をしようと思っていた。
そもそも仕事とは何かもよくわからず、紹介や来た依頼をやるだけの進め方をしていた。
ビジネスメールも知らないので自分で調べ、文章の書き方もよくわからないので勉強しまくった。
並行してアルバイトもしていて、バイトをしながらWebライターをしていた。
結果として、今生きれるようになっているが、なぜ生きれているのかもあまりわからない。
周りの人たちの縁で生かされているのだろう。
そして初期に取り組んだ仕事というのは、意外にも忘れないものである。
僕が東京まで行った風俗体験記事は、公開後、一気に3万PVほどの数字を獲得し、ほどほどの成果となった。
当時、「文章が上手ですね」と誉めてくださったクライアント様の言葉が本当に嬉しくて、お世辞だと分かっていても騙されたようにやる気になったのを覚えている。
この取材を行った僕は、色々なことに寛容になり、実は偏見だったのではないかという事柄に対して疑問を抱くようになった。
とても良い体験だったと思っている。
あぁー、
書いていて、とてもエモーショナルな気持ちになってきた。
もう時効だろう。そのときに感じたことをざっくり書いても良いのではということで今文章を嗜めている。
当時のことをつらつらと書いていこう。
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体験談レポ依頼の背景
Webライターを始めたばかりの頃、知り合いからの紹介でエロブロガーをやっている方とお繋ぎいただいた。
当時は「記名記事がライターには必要」「メディアに記名させてもらいましょう」という情報がかなり出回っていた。
そのお仕事は記名記事だったので、「よっしゃあラッキー!」とウキウキで承諾。
最初に1,000文字程度のテストライティングをした後、その後は自由に記事を書かせていただくといった流れだった。
そして、1本目の風俗の体験談を実家で書いてから、その取材を行うために東京へ向かった。
正直、当時の僕はそういった業界に対して偏見や抵抗が少しだけあったかもしれない。
今でこそ情報が豊富に出回っていると思うが、あまりその職種の人たちの心情を知ることはなかった。
僕がどのように感じていたのかは詳しくは覚えていない。
だが、僕はいつも少し人を見下す癖がある。なのでそういったお仕事をしている人を心の中で馬鹿にしていたと思う。
しかし、風俗業というものが社会の一部として存在している以上、その実態や背景を知ってみたいとも感じていた。
なぜならば、僕は好奇心の塊だからだ。
つまらないこと以外であれば、すぐに興味が湧いた。目で見てみたい派だったのだ。
当時の僕は、相手が「風俗嬢」であるということに、初めての取材でかなりの緊張と興奮を感じていた。そして、店舗型の風俗店へ行ったことがなかった。
店舗型の風俗店とは、繁華街・歓楽街・風俗街など人通りの多い土地に「実店舗を構え、店内でお客様を接客するタイプの風俗だ。
お金を払い、個室で女性に対応してもらうのが主なお店利用の流れである。中で何をするかは、だいたいメニューがあるらしいが、女性によっては、裏メニューなども用意しているらしい。
まさか自分がこんな仕事をするとは夢にも思わなかった。
とはいえ、「これでライターだと名乗れる!!!」という浮かれ気分も入っていた。
しかし、僕は、店舗型の風俗で裏メニューがある概念もよく知らなかったし、そもそも何をする場所なのかもぶっちゃけ把握してなかった。
デリヘル以外のお店のジャンルを詳しく知らないし、Hなことをするかどうかもよくわからなかった。
ソープやピンサロなどの言葉は知っていたが違いもわからず、何ができるのかもあまり気にせず、調べようともしなかった。
本当に何も知らないただのバカだったのだ。そんな奴がいるのかと思うだろうが、当時は何もわかっていなかった。集約すると「田舎者」である。
僕の実家は山にあり、周りが田んぼに溢れ、車で15分くらいかけて最寄りの駅に着く場所だ。なので世の中のことを何も知らない。ドライブするのが遊びだと思っていた。
「好奇心の塊ではないのか、僕は…」と今書いていて思った。矛盾しているな。
そんな人間だから、この体験談記事の作成については、ただネット受けになりそうな内容を書けばいいかくらいに思っていた。経験することに価値を感じようとしていたのだと思う。
そして、僕は付き合っている彼女がいた。
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エロブロガーは優しい
実家で1本目の過去体験したデリヘル体験談記事を書いた後、東京へ行き、クライアント様と少しお話しした。
その方は界隈では割と有名な人で、会った時にオーラを感じてめちゃくちゃヒヨったのを覚えている。
「フォロワー多いしめちゃくちゃPV数あるやん…」
エロブログとかやっている人なので、「とんでもなくエロい人なのかな…」と思ったのだが、
そういうわけでもなく、ただただ紳士で優しそうな人という印象だった。
「朝ごはん、奢りますよ。なんでも食べてください。」
全然思ってた人と違う。
何をどうすれば、そんな風に紳士になれるんだ。
東京に着いてしばらく、タリーズで朝ごはんをご馳走してもらい、
そこで、今回の話の内容について詳しくお話しいただいた。
クライアント様が依頼していただいた背景には、一度エロブログを辞めてしまったのだが復活するタイミングのようだった。
そのため、ブログを再始動するにあたり、風俗店のPR記事を書いてくれる人を募集していたということで僕は繋がせてもらえたのだ。
風俗店のPR記事とは、実際に風俗を利用した体験談を書き、「ここの風俗店はこんなに良い店舗なんだよ!!!」というのを伝える内容。お店へお客様を呼び込むのが主な目的だ。
当時の僕は承認欲求が強めで、自分がしたことを周りに認めてもらいたくて仕方なかった。
現在そのメディアはまだ運営されており、自分が書いた記事が残っているのでかなり恥ずかしいのだが、ざっくり記事の内容としては、小旅行で東京に行き、フラッと入ったお店で楽しんじゃうというような感じである。
とりあえずネット受けになるようにしたらいいんだな!という歪んだ認識になっていたと思うが、真面目に取り組もうと思っていた気持ちもあったと思う。
体験当時の緊張
体験の日がやって来た。僕は事前にやり取りを行い、取材の目的や内容を簡単に確認しておいた。
実際に取材が行われる場所は、都内の某区内にある店舗で、女の子はやはり綺麗な子で、可愛いという感情が湧いた。20歳くらいだったと思う。
若干ギャルっぽく、モデルやアイドルのような見た目だったかなと。乃木坂?AKB?くらいの印象。
しかし、年齢は若いけど大人な雰囲気のある女の子だった。関わる相手が大人ばかりなので、社会性が育ったのだろう。
彼女の姿勢や話し方からは、風俗業のイメージとは裏腹に非常に落ち着いた印象を受けた。
最初はぎこちなく、うまく会話が進まなかったが、彼女が話し始めると、僕の緊張も少しずつほぐれていった。
彼女は、よく話してくれた。
メニューを見ると「童貞を殺すセーター」とあった。
実際に体験談記事を作成するため、「童貞を殺すセーターって何ですか」「普段はどんなプレイをしているんですか」とメニューについてめちゃくちゃ聞き込んだ。
事務的な話(記事を書くために必要な内容)が半分、その子個人のお話が半分みたいな流れだ。
僕は緊張すると変にテンションを上げて、相手の話を聞きまくるモードに入ってしまう。
話しまくるではなく聞きまくるなので、地雷を聞いてしまうこともある。頭を働かせながら、なんでも気になって聞いてしまうのだ。
「この前、部屋入ったら、その前の子がゴム捨ててた笑やばいよね笑」
「え、何がやばいんですか?どういうこと?」
「……?」
無知なので、意味が全くわからなかった。たぶん裏メニューの話をしたかったのだと思う。まじでわからなかった。
採算言うが、当時の僕は、デリヘルの経験はあるが、店舗型の風俗は存在自体知らなかったので、どういうものかも知らなかった。
個室の中で何が行われているのかも想像すらしないピュアボーイだったのだ。
その後も、記事を書くために必要な話をさくっと進め、
「今後やりたいこととかあるんですか?」と気になって聞いたのを覚えている。「お金を貯めて不動産をやりたい!」と言っていた。
「そうなんだ、めっちゃすごいね!」と反射神経で返してしまった。
当時は「あぁ、夢があるっていいな。不動産はすごいなぁ。俺考えたこともないな。」とじじぃみたいなことを思った。
今思うとその子は、かなり仕事に疲れていたのかなと感じる。
それはそうだ。日々おじさんの相手をして、好きでもない男に体を許し、お金をもらう。こんなに心が強くないと続けられない仕事はない。
今思うと、お金だけ一生分貯めて、この現実からはやく逃げ出したい気持ちだったのかもしれない。
彼女の話を聞いて、自分の中で咀嚼した結果、風俗業が単に「性」を売る仕事であるだけでなく、多くの複雑な背景を持つこと、そして彼女たちは彼女たちで、悩みや苦しみを抱えているのだなと思った。
どの仕事もそうである。人によって何を嫌かと思うかは異なるが、色々なストレスがあり、耐える場面はいくらでも出てくる。
しんどいけど生活をするためなら、お金を稼ぐためなら、耐えなければいけないときもあるのだ。
そんなことを今になって思うようになれるが、当時の僕は、目の前の人の気持ちを自分の数少ない経験で少し想像してみようと頑張ってみるしかできなかった。
特にプレイをすることなく、時間いっぱいの間に、2人でメニューの内容やそれぞれで話してみたくなったことを話し終えた。
最後に、残った時間で僕たちは、記事用の写真を撮影した。
僕は頭の中で記事をどういう流れにするか出来上がっていた。
なので、何枚か必要な写真を撮ってそろそろ終わりにしたかった。
「あ、すみません、そこ寝転んでもらってもいいですか。」
(パシャ)
「すみません、この服着てもらえると助かります。」
(パシャ)
雑に指示をしながら、僕が撮りたい写真の構図でポーズしてもらった。
すると、突然どこか気に触ったことがあったのか、
撮っているときに、急に「もう終わり。やめる。」といってそのまま終わって部屋から出ていってしまった。
「え、ありがとうございました」
感謝だけを言い残して、僕はすぐに店を出ることになった。
取材が終わった後、不快な思いをさせてしまったのかなと思って本当に反省していた。
談笑していたのに、急に写真を撮られることになって、怖くなったのだろうか。無理もない。
しかし、記事を公開した後に、その子から、Twitterでフォローをしてもらったのでよくわからなかった。
数ヶ月後、アカウントは消えていた。
その後は知らない。
あの子は元気にしているのだろうか。
元気だったら、幸せに暮らしていてほしいと切に願う。
あぁ。気持ちを想像したらまたエモーショナルな気分になってきた。お酒を飲みたい。
かなり刺激的な仕事だった
東京から帰ってきて、僕は色々考えさせられることが増えた。
仕事って色々ある。お金を稼げる仕事もあれば、やりがいメインだけど稼げない仕事、夢のある仕事。どれも素敵な仕事だ。
様々な仕事に対して100通りの見方がある。どれも良さがあり、100%悪いとも限らない。事情もある。だからこそ、リスペクトが必要なんだと強く思った。
そして、僕は地元で体験談をもとに記事制作に勤しんだ。
取材した記事は東京にいる時点である程度書いていたので、地元のジョイフルまで行って文章を推敲。
Photoshopで画像作成をして、記事を納品した。
納品した記事をクライアント様に誉めてもらえて僕は舞い上がった。
良い仕事をしたんだなと思った。
公開された記事をSNSでシェアしまくってなぜか浮かれていた。
ともて懐かしい。
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体験記事が彼女にバレる
僕はそのとき付き合っている彼女がいた。
同窓会をきっかけにこんなにタイプの人がいるのかと思い、可愛かったから思い切ってアタックしたら付き合えた。陽キャムーブである。
しかし、本当に好きだった。僕は学生の身分だったが、その子は働いており、社会人としてしっかりしていた。
一緒にいることも好きだし、もっとその子のことを知りたいと思っていた、恋愛序盤のよくある状態だったと思う。
付き合って1ヶ月くらいのとき、彼女には東京行ってくるわーとだけ言い残し、細かいことは伝えずにいた。僕は、適当人間で自由。
かなり雑な言い回しをして、熱々の2人の関係性の時に、1人で仕事と銘打って東京へ少し行ってしまったのだ。
特に知られることもないだろう。謎の自信を携えながら、僕は東京へ行って、取材を終えた。
だが、巡り巡ってなぜかその記事がバレてしまっていた。
原因は本当にわからない。
だが、彼女は探り癖のある性質らしく、僕のことをもっと知りたかったのでインターネットで探しまくっていたらしい。
僕が書いた記事を彼女が知ったその日、「ちょっと電話良い?」というLINEが急にきた。僕はめちゃくちゃ好きだったので、何を言われるか梅雨知らず、ウッキウキで電話OK!と返したのを覚えている。僕はめちゃくちゃ彼女のことが好きだったのだ。
電話に出た瞬間に絶句した。
「ごめん、記事見た。ほんまに気持ち悪すぎる、別れよ。じゃあね。」
と一報。
当然の報いといえば当然である。彼女の気持ちを全く考えていないからだ。
めちゃくちゃショックだった。胸が痛くなった。
後の話だが、僕の動かしていたSNSアカウントを辿ってきたらしく、全部見て吐き気を催したと言っていた。
こんなことで別れる結末になるのか。と家の部屋で膝から崩れ落ちたのを覚えている。
僕は僕で、彼女がいたから特に風俗で致そうという考えにもならなかった。そういうのを全くするつもりがなく、写真だけ撮ってそれっぽく記事を書いただけのつもりだったのだ。
でもそんなことを伝えても信じてもらえる訳もなく、彼女からしたら「気持ち悪い」でしかないだろう。
当たり前だ。風俗に行って、何もしていないってどういうことなんだと笑
男からしてもあり得ない話だ。
普通するし、その目的のお店だし、お金を払ってそういうサービスをするので、何もやらないはずがないだろう。どう考えても信じてもらえるはずがない話である。
辛かった。記事を作ったことを後悔した。
こんなことで僕は大好きな彼女と別れることになってしまうのか。めちゃくちゃ好きなのになんで。。。きつい、辛い。。。
僕はメンヘラのように彼女を愛するタイプだった。
かなり焦りながらブログを運営しているクライアントの方に電話をかけてしまった。
「すみません、、彼女にバレて別れよって言われたんですけどどうしましょう!?!?」
「いやぁ〜しんどいですよねぇ…」
「マジでやばいんですけど、、、どうしよどうしよどうしよ…」
「仕方ないですねぇ…時間に身を委ねましょう」
と投げやり。それはそうだ。
だって選んだのは僕だから。何も考えずに仕事を請けてしまったからだ。結果、当時の彼女には何回も許しを乞うた。
「お願い!ほんまに許して。」
「ごめん…」
「待ってよぉ〜!!!!」
と言い続けていたら仲直りできた。意外といけるものだ。
本当に心が広くて、優しかった。あげまん彼女である。
その後、僕は、別でマッチングアプリのメディアで記事を書く仕事をした。その仕事で画像を作成する必要があり、Tinderをインストールしてスワイプしていた。
別に会ったりしていなかったし、チャットのスクショを作りたかっただけなのだが、彼女の友達にバレてしまい、また怒られた。彼女からしたらとても嫌だったらしい。
僕はなんでダメなの?という思いだったが、本当にきつかったらしい。そらそうだ。当たり前の気持ちだろう。いつになっても金>女の優先順位は僕の中で変わりそうにない。
僕は自分のことを彼女を愛すメンヘラ人間だと思っていたが、ただのクズだった。
いつだって自己評価と他者評価が乖離している。
人間とはバカなんだ。
(その数ヶ月後、最終的に別れました)
仕事は選んだ方がいい
僕は基本的にイエスマン。いただいた仕事は、感謝をしながら、Yesと言いまくる。
そして、仕事を行い、また仕事を依頼してもらう。
とはいえ、仕事は選んだ方がいい。自分だけのことならどうにでもなるが、自分以外を悲しませる結果になってしまうこともあるということを学んだ。
個人としてみるのであれば、20代の学生のうちにこのような経験をできたことはとても良かったのかなと思う。
が、どんなときでも仕事は選んだ方がいいのではないかと思うようになった。
周りの人を不安にさせてしまうような仕事もあるからだ。職種に偏見があるわけではない。でも、寄り添いたい大好きな人を悲しませてしまうといったパターンも少なからずある。
仕事が忙しすぎて、家にいる時間を大切にできなかったり、友人との約束を破ってしまったり。大小の状況にせよ、仕事をきっかけに人を悲しませてしまうことはあるのだ。
目先の報酬に揺られて、仕事をするというのは短期的にはOKだが、長期的にみると、尾を引きずることもある。
今後は、仕事を選べる人間になっていきたい。
最後に:まだメディアは運営されている
身を削って記事を書いてみたのだがどうだっただろうか。
多くの人読まれれば僕は嬉しいし、シェアしてもらえると、僕は泡を吹くくらい家で叫んでいると思う。
とはいえ、そのメディアはまだ運営されている。
おそらく6年前?ぐらいに記事を書いたのだが、この前見たら見れるようになっていた。(見れるにようになっていたらから、僕はこの記事を書こうと思ったのだ。)
興味があったら探してみてほしい。
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とはいえ、総じて、良い経験だった。多分やることはないが、一生擦れる話のネタにはなったかなと思う。
現場からは以上だ。
散!!!