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生きがいを見つけた。

久々に書きたくなったので、今日は一年の振り返りと、生きがいについて書こうと思う。

高知県須崎市に移住

2023年8月19日
高知県須崎市に移住した。

最初は半年しかいるつもりがなかったのだが、気づけばもう1年が経った。

移住当初は、もうボロボロで生きる意味を失っていた。

事業を譲渡したのはいいが、

次の仕事はない
借金は3桁万円ある
精神ズタボロ

のひどい状態だった。

診断はされいてないが、酷い鬱だったと思う。

毎日もう1人の自分が毎日頭の中で「消えろ」「⚪︎ね」っていってくる。

「お前は誰だ」「出てくんな」

そうノートに殴り書きしていた。
正直かなり精神が参っていた。

それでもなんとか休憩をせず、チャンスをいただいて高知県須崎市ですぐに仕事をすることになった。

最初は、「海外行く前に田舎でお金貯めるか」
くらいの感覚だったが、いざ高知県に来てみると、まるで海外にいるような新鮮な日々が待っていた。

毎日が学び、人間としての勉強。

・人情
・自然との融合
・音楽の新しい価値観

さらに人の元で働く大変さも

全てが今の自分に必要な学びだった。
心からそう思う。

心も少しずつ回復していき、半年経った頃にはまだマシな躁鬱くらいの状態にはなった。

だが、まだ自分のしたいことはできなかった。

それが、今回のテーマ「音楽」だ。

音楽との出会い

元々僕は中学生の時、歌手になりたいと思っていた。中高は友達と学園祭につけてバンド的なこともやったりした。

だが、一緒に歌っていた友達の歌声と表現力目の当たりにして「勝てねえわ」と思い始め、次第に夢は遠のいていった。

それからは
「音楽のバックグラウンドないしな」
と自分に言い聞かせ、気づいたら夢を諦めていた。

少し前までは、人は幼少期から音楽の経験がないとプロになれないものだと思っていた。

半分正解だが、半分間違いと気づくのに時間がかかった。

音楽との再会

2023年2月
事業譲渡前に「次は何しようかなと」と考えていた。

そしてある日、思った。
「俺、ミュージシャンになりたかったんだ」

あ、そういうことか

なぜかめっちゃ腑に落ちた。

もっと自由にいきたい。
もっと感情を表現したい。
もっと自分を伝えたい。

その感情が一気に溢れ出して、その日に音楽で生きていくことを決めた。

ビジネスも表現の一部だが、人のお金を預かったり、関係者が増えたりすると
勝手に考えすぎてしまうので、もっとシンプルかつ、抽象的な表現方法を求めていた。

それが音楽だった。

現実は甘くない

そこでさっきの話に戻ってくる。
移住したてで、イベントも、やることも多く音楽をやれる時間も少なかった。

それでも隙間時間でFL studioで作曲をトライしてみたり、鼻歌を作ったり、ラップスターに応募してみたり、DJを始めてみたりとオールジャンル通してみたが

どれも挫折。
結局1年以上何も形にできない日々が続いた。

音楽理論から学び直す

そして僕は、音楽理論を一から学ぶことにした。友達のピアノ借りて、毎日毎日練習して、勉強して、そのつまらない日々の繰り返し。

そして4ヶ月たったころに気づいた。
「音楽理論は無限すぎて、一生形にならん」

そこで一旦学びをやめ、
とりあえず一番興味と身近であったDJを学び始めた。

心に残る違和感

それでも何かが足りていない気がしていた。
そこからもなんか調子上がらない。

いろんな音楽のイベントに行ったり、新しい人と会ったり、自分のコミュニティ見つけようとしたが

いつも心がどこか孤独になる。

自分は何がしたいのだろう。
その答えは自分しか知らない。

そこで改めて、自分の精神と向き合うことにした。

借金返済、会社を畳む

そこで見えてきた一つが
過去の自分だ。

その時は会社が休眠状態で、借金も残っている状態だった。

漠然と海外移住という目標があったので
費用と面倒がかかる廃業と、借金は後回しにしていた。

でもそれがあることで
過去の自分が今の自分の中にべっとりとしがちついていることに気がつき始めた。

どうしても今の自分を愛せていなかった。
起業していけている自分、自信のあった自分。チヤホヤされていた自分。

そんな自分が一気に崩れたことによって、気がついたらとんでもない怨念に変わっていた。

このまま海外に移住して、新しい自分になったら、怨念がより強くなると思った。

そんな自分を成仏してやりたかった。

そして、今まで貯金していたお金を全て投下し、借金を全額返済、会社も閉じた。

いわゆる「ケジメ」だ。

それができたのは、音楽もそうだが、高知の人や自然のおかげだ。
本当に関わってくれた全ての人、ありがとう。

偏った自己愛

そしてもう一つ見えたのが、偏った自己愛だ。
もう1人の自分は、会社を畳んだくらいじゃいなくなってはくれない。

幸せになるためには、辛いことを乗り越えなければいけない。

そのマインドで1年間生きてきた。

しかし、完璧主義になりすぎて、できていな時の自分を罵るようになってしまった。

気がついたらナルシズムが加速していた。

自分を何か特別な人間だと無意識的に思っており、できていない平凡な自分を苦しめていた。

また、別の感情かはわからないが

エジプト帰国後から、
自分の中に常に「罪の意識」が強まり、懺悔を毎日しているような気分だった。

お前はダメな人間だから、人一倍努力しないとダメ、急がないとダメ。少しでもサボったらお前はもっとダメになる。

この懺悔をしている内は、自分は幸せになれないことも知っていた。

そしてまた音楽が救ってくれた

ある日友達と徳島の「神山」と言う場所に行った。
その日はすごく感情的になっていた。

その友達は藤井風が好きで、
「満ちてゆく」をなぜか聴きたくなった。

曲をかけた瞬間、涙が溢れ出てきた。

まるで赤ん坊のように、気がついたら5分間泣き続けていた。

こんなに人生で泣いたことがなかったので、本当に驚いた。

「満ちてゆく」は懺悔の曲

この6年くらいの「罪」の感情が吹き出してきて涙が止まらなかった。

辛かった
悲しかった
寂しかった
愛して欲しかった

ついに、もう1人の自分が表に出てきた。

そんな自分を音楽は抱きしめくれた。その上から自分も自分を抱きしめることができた。

そして、

自分は音楽の道に進んで間違いがなかった

そう心から思った。

なぜか、心から報われたような、救われたような時間だった。

音楽ってすげぇって言いながら5分くらい泣いてた。

時計の針が動き出す

その日から、世界を見る目が変わっていることに気がついた。

いつものつまらなかった日常も
なぜだか愛おしく思えるようになっている。

毎日自分に罵ってきてたもう1人の自分とも一つに近づいた感覚がした。

つまらない日常、何気ない日々にポジティブなイメージが湧くようになってきた。

とても不思議な気持ちだ。

これが幸せなんだ。

僕のやりたいこと

1年間音楽の中で旅してやっと答えが出た。

なぜ音楽したいのか?
それは、自分の心の細部を表現したいからだ。

毎日感じる
この言葉で表現できない気持ちを伝えたい。

セックスよりももっと深いコミュニケーションをしたい。

それが僕のしたいこと。

1st シングルリリース

その答えが出てから、血眼になって作曲にのめり込んだ。

なんと作曲を初めて2週間で2曲が完成し、始めて1ヶ月もしないうちに
1st シングルリリースした。

この曲は半日で完成した。
先日の台風からインスピレーションを受け、台風の孤独感と怒りを自分の心と照らし合わせて表現した。

今まででは考えられないくらいのスピードで作曲ができている。

僕の夢

やりたいことは先ほど言った通りだが
音楽家としての夢が2つある。

1つ目は
尊敬している
宇多田ヒカルさん、常田大希さん、Nariakiさんと一緒に音楽を作ることだ。

彼らの独特な世界観を一緒に感じ、混沌を生み出したい。

これは作っている未来が見えている。

2つ目は
Japanese Techno の確立

日本には美しい音がたくさんある。

しかし、西洋的な音楽がメジャー化が進む中で、日本の音楽はアイデンティティを失いつつある。

僕は日本人として
日本の音をかっこよく世界に届けたい。

そこで、日本の楽器とテクノを混ぜて
今までにない美しい音楽を作りたい。

20代はここに向けて人生を注げる。

まだ自分の旅は始まったばかりだ。
ゆっくり、自分のペースで歩んでいこうと思う。

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