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自分から愛そうと思う。

愛することの本質は自分から「与える」ことだ。「自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているものすべてを与える」。それは「自分のもてる力のもっとも高度な表現」であり「自分のもてる力と豊かさを実感する」行いだ。与えることは「それゆえに喜びをおぼえる」楽しいことなのだ。(引用:愛するということ

これは有名な哲学者フロムの言葉。
何度この言葉を聞いてもしっくりこなかったのだが、最近ようやく「大切」だと気づいてきた。

自分はなぜ恋愛ができないんだろう。

4年間もパートナーがいないので流石に自分の恋愛観について考え始めたのがきっかけだった。男女の友人関係は充実している。出会いも少なくはない。そもそも前のパートナーと別れてから、前の彼女を忘れられないし、「この人と本気で付き合いたい」と思ったタイミングはなかった。
「とりあえず遊べばいいんじゃね」とアドバイスを頂いて、遊ぼうとしたがなんか「違うな」でいつも消化不良で終わる。これは一体何なのか。ずっとモヤモヤしていた。

もしかしたら自分はマイノリティなのか?
と思ったりもしたが、どうやらそういうわけでもなさそう。

何なんだ自分は、なぜ付き合うとかならないんだ。
悩みに悩み、色々と勉強し、トライした結果、見えた答えは恋愛観の問題ではなかった。

それは

自分から相手を愛そうとしていない

ここが自分は欠けているのだと気づいた。

よくある間違い

僕は愛とは二人で一つものだと思っていた。これはあっているのだが、その捉え方を間違っていた。その間違いが、その2人の愛の組み合わせ方の考え方だ。僕は最初から自分で素直になったり、裏の顔を見せなくても、愛を伝えなくても、愛してくる人がいると思っていたのだ。つまりこういうことだ。

こういう人はいい恋愛できない

23歳で考え方が童貞すぎてもはやかわいい。
以下のイメージがフロムが言っていることだと思う。

これが今しっくりきている図

相思相愛という言葉が一番しっくり来る言葉だろうか。お互い愛そうとした起きた事象としてパートナーができたりする。この💖はただ「好きだよ」とか「愛している」とか言葉や表現でしたりするだけではない。

自分の良いところ、悪いところを開示すること、相手のそれを受け入れ楽しい時も、悲しい時も支え合うこと

だということだ。

これは恋愛だけではなく、人間関係でも言える。

僕の今の状態は
自己開示しないけど、近づいてきて欲しい
好きっていわないけど、興味を示して欲しい
誰かに愛されたい

という、自分は何も与えないのに、相手だけに求めていたのだ。そりゃそうなる。
ではなぜこうなっているのか?
これは明確な答えがある。

それは
自己肯定感の低さ
自分を許せていないことが多すぎる

この2つだと思う。

自己肯定感が低い/自分を許せていない→違う自分を着飾る→相手に内面を理解されない→理解してくれる人が少ない

というロジックになる。

では、僕はこれをどのように解決するか

①自分を愛しまくる
②家族を愛しまくる
②友人を愛しまくる

この3つだ。

①自分を愛しまくる
これは最重要項目。まず自分を好きでいたり、愛せていないと他人には気が向かない。瞑想や自分との対話だったり、コーチングを経て過去の自分を許してあげていこうと思う。最近は毎日自分への感謝、愛を日記に書いている。

②家族を愛しまくる
自分の人格形成をしてきたのは家族、家庭環境が大きい。
だからこそ、家族と向き合いまくる。自分の良いところ、悪いところをさらけ出す。定期的に気持ちを伝える。そして両親を「人」として理解しようとする。過去の問題やトラウマをどう思っていたのか議論して解消する。「愛している」「大好き」と伝える。ただ受け取るだけではなく、自分から開示し与えていく。

②友人を愛しまくる
これも②とほぼ同じだが、距離感が違うので若干アプローチを今考えているところ。とりあえず「大好き」「愛している」は言う。もう一つは「許すこと」だ。どうしても他人の行動が気になったり、喧嘩してしまったり、ピリピリしたりするけど、そうなった「背景」をきちんと考えて動くことがとても大切。良いときも、悪いときも支え合えるように自分を許し、相手も許すことが大事。

人には機嫌がいいときもあったり、上手くいかないことがあったり、死にたくなったり、みんな色々ある。だからそれを許して、歩み寄ることによって助け合うながら生きていくのが楽ではないだろうか。

このようなアプローチで僕は自分から人を愛してみようと思う。

友達へ
急にアプローチ変わるかもだけど、受け入れてくれたら嬉しいです!みんな大好き!愛してる!本当に


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