「マニュアル」通りにやるってムズカシイ
とある講義を受けていて、事前にマニュアルが配布されていて、それに準じて実践していくのだが、うまくいかない。
そして講師に相談すると、毎回言われるのが「マニュアルの通りにやってますか?」
「これって、どうしてこうなったのですか? 経緯を詳しく教えてください」と言われ、
「これこれこうで、こうしました」と答えると
「マニュアル通りにやっていますか?この部分のやりかたが違っているので、もう一度マニュアルをよく読んでみてくださいね」
言われてみれば確かにそうなのである。
生まれてから61年と半年、社会に出てから42年と9か月。
色々なことが頭と心と体に染みついている。
他人が作った「マニュアル」にはその人の経験や気持ちが込められている。
それを、「その通りに実践してください」と言われても、やはり自分流のやり方が無意識のうちに邪魔をしてくる。
「こういう場合はこうだろう」と、いつしか脱線してしまう。
「マニュアル」という言葉を耳にしたのは、はるか昔。
ファーストフード店なるものが普及し始め、接客マニュアルというものが存在すること知った。
昔ながらのお店のおばちゃんの対応の仕方ではなく、だれであろうが同じ接客、言葉遣いになるように作られたものだった。
機械としゃべっている冷たさを感じた記憶がある。
「マニュアル」を作ってくださいよ!と、上司に豪語した先輩営業マンがいた。
その先輩営業マンは事あるごとに自分のやりかたが「良くない」と上司から指導を受けていた。
そんなに言うなら「マニュアル」を作ってくださいよ!
ある程度「会社の販売方針」というものはあったと思うが、物の売り方は人それぞれ。
仮に「マニュアル」を作ったとしても、その先輩はそんなものに従わなかったと思う。自分のプライドが許さなかっただろう。
その先輩は早期退職をしてしまった。
昭和37年生まれの自分としては「マニュアル」には、それに縛られるというマイナスイメージを感じてしまうのだが、その「マイナスイメージ」は自分が勝手に作り出した思考であって、「マニュアル」作った人からすれば「最善で最短の方法」なのだ。
「経験豊富な自分のやり方が間違っているのか?!」とプライドをふりかざしても、この辺を柔軟な考え方、捉え方をしないとその講義も全うできないだろうな。
その講義、やり取りがオンラインってやつなもんだから、感情が伝わりずらい。
・・・だから「マニュアル」なのかもしれないな。