20世紀的「中央官僚」とアメリカン・ポストモダンのハイブリッドモンスター 兵庫県知事・斎藤元彦君
20世紀的「中央官僚」とアメリカン・ポストモダンのハイブリッドモンスター 兵庫県知事・斎藤元彦君
わたしの同一大学同一学部の後輩でもある兵庫県知事・斎藤元彦君。
9月19日、兵庫県議会で前代未聞の「全会一致」での不信任案可決と相成りました。
金品の受け取りやパワハラなどの問題は、そう珍しいことではありません。斎藤君に特徴的なのは、初動の記者会見で渡瀬元県民局長の告発文書を「嘘八百」と決めつけてしまったことでしょう。
パレード担当課長と渡瀬さんが亡くなるという取り返しがつかないことになってしまった。
少なくとも、初動の時点で、外部の第三者委員会で調べる、としていればこんなことにはならなかった。
斎藤君自身のパワハラやいわゆるおねだりについても、「嘘八百」といってしまったことが、仇となった。引っ込みがつかなくなってしまった。
しかし、なぜ、こんなことになってしまったのか?
ひとつは、地方分権と言いながら中央から地方自治体に出向した官僚に対するお殿様扱いです。これは20世紀の中央集権時代の遺物なのですが、いまだに残存し、それで斎藤君らが勘違いしてしまうというのはあると思う。
もう一つ、斎藤君が染まったのは、21世紀のアメリカン・ポストモダニズムである。
そのひとつの構成要素は小泉純一郎さん(進次郎さんの親父さん)や斎藤君の元上司・吉村洋文大阪府知事ら「維新」が煽った公務員バッシング。これは、官僚政治批判にも便乗して台頭しました。世論は公務員をぶっ叩く政治家に喝さいを送ってしまった。
もうひとつは、政治家とその取り巻きが官僚以上に無茶苦茶なことをやるというのもアメリカンポストモダニズムの特徴です。
米国では実は、日本以上に無茶苦茶な政治家とその取り巻きが無茶苦茶な政治をしているとか、よくあることです。
20世紀までの日本の場合は、変な話ですが、官僚が良くも悪くも変化を制御していた面があるが、それがなくなった。とくに安倍政権以降、それが顕著になった。
総務省から天下った官僚である斎藤元彦君。20世紀までの中央官僚が地方を見下す意識と、一方で、大阪府出向時代の吉村洋文・大阪府知事らから吸収した「無茶苦茶な政治家が無茶苦茶をやってまかり通る米国型ポストモダニズム」双方が斎藤元彦君の中でハイブリッドされ、今回のようなことになってしまったのではないでしょうか?
ちなみに、斎藤君が兵庫県庁からの出向組・片山安孝副知事らと巡り合った場所は、宮城県庁。村井嘉浩・宮城県知事も水道を民営化するなど、米国型ポストモダニストと言えます。その村井知事は、広島県の湯崎英彦知事とも親しい。湯崎知事の広島県内でも外資が産廃処分場を買収する、知事がいわば米国型人事で肝いりで連れてきた平川前教育長が不祥事を起こすなどの状況があり他人事ではありません。
斎藤君。わたしは、大学の先輩としても、また元県庁職員としても、今の君を許せない。君を打倒し、県政を正常化しようとする兵庫県民に連帯します。
しかし、一定の目途が付けば、ある意味、君よりもはるかに手ごわい米国型ポストモダニスト・湯崎英彦知事から広島を取り戻す「ヒロシマ庶民革命」に全力を尽くす。そのことを宣言します。