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値付けについて考える 〜特許明細書作成の単価とDX化の影響〜

京セラを創業し、KDDIを立ち上げ、経営破綻したJALを劇的に回復させた経営の神様、故・稲盛和夫氏。だれもが認める日本のトップ経営者は、経営哲学をまとめた「経営12カ条」というものを作っている。
「経営12カ条」は彼の考える経営哲学のうち、特に重要だと思うエッセンスを抽出したものなのだが、その第6条にはこう書いてある。
「第6条 値決めは経営」
曰く、値決めは経営者の仕事であり、経営者の人格がそのまま現れるというものだ。

値決めに絶対の正解はない。高いから/安いからよい/悪いということはないが、少なくとも「経営者の意思を持った値決め」と、「そうじゃない値決め」がある。
「そうじゃない値決め」の一つ。特許業界における、クライアントからの要求による安易な値下げが、それに当たるのではないかと、僕は感じている。


価格交渉に応じることのリスク

特許業界では、クライアントの企業知財部の予算縮小などのあおりを受け、特許事務所の特許明細書作成単価を下げる交渉を迫られることがある。例えば、こんな具合だ。
「来年もあなたの事務所に100件以上発注するから、特許明細書の作成単価を5万円下げてもらえないか。そうでないと今後は発注できなくなる」
「海外出願の翻訳費用は下げなくていいから、国内出願の単価を下げてもらえないか」

さすがに単純な値下げということは少なく、それなりの件数で発注するという条件や、海外出願も依頼するからトータルの売上で考えてほしいという条件が付くことが多い。
もちろん、特許事務所側がその条件で受諾する以上は、取引としては問題ない。あくまでもこれは価格交渉の話だ。

特許事務所は、クライアントからのこのような価格交渉を受けざるをえない側面が強い。
特許事務所は、もともとクライアント数社を顧客に持ち、クライアントの売上ポートフォリオに偏りがある。例えば、クライアントはA社、B社、C社の3社しかなく、A社が売上の50%、B社、C社がそれぞれ25%という比率の場合に、A社から「来年の単価を10%下げるか、出願を0件にするか」(極端なケースではあるが)と聞かれたら、前者を選ぶだろう。仮に、クライアントを10社持っており、最も比重の多いクライアントでも全体売上の20%程度であれば、「値下げは困る」と突き返すこともできるだろうが、そのように売上ポートフォリオをきれいに組む必要はあると思う。

これもポートフォリオに偏りのあるクライアント構造にした特許事務所の「経営能力」の責任、あるいは「交渉能力の低さ」に原因があるということで、値下げに応じたとしよう。

特許事務所はギリギリの利益率で仕事をするようになる。売上のために案件数を増やす必要が出てきたり、事務所の業務環境を改善するための資金投入はできなくなったり、結果、以下のようなことを行う余裕はなくなると想像する。

①新たな顧客開拓のための営業活動
②業務効率化のためのツールの導入、DX化
③法改正、新しいプラクティスなどの勉強(スキル向上)
④未経験者などの受け入れ、人材育成

①は致し方ないとして、②のようなDX化による業務効率化もやる余裕はないため、単純に1件あたりに割ける工数が減り、業務品質が低下する。
③については、値下げを提示した企業側にとっても中長期的にはデメリットだ。代理人である弁理士の継続的なスキルが向上せず、特許明細書1件にかけられる工数が減ることによるクオリティの低下である。もちろん短期的にはそのような状況は顕在化しないが、中長期的にはそのようになるのは自明の理だ。

④未経験者などの受け入れや人材育成はどうか。こちらも短期的にはクライアントである企業知財部にとっては「知ったこっちゃない」というのが本音であろう。
しかし、今でこそ高品質の特許明細書を書ける弁理士も、もともとは未経験者だ。未経験者の時代に、上司や周りの同僚に特許明細書作成のノウハウを丁寧に教えられ、外部の勉強会などに参加し、研鑽を積んできたからこその今がある。
しかし、単価自体が下がると、特許事務所全体の利益率は下がる。自身の売上ノルマを達成するために自分の案件の処理を優先することになってしまう。未経験者の育成は後回しにされ、というか「未経験者を採用する余裕はない」という状態になる。
その結果、業界全体に、「いい特許明細書」を書ける人材が育つ土壌が減る。優秀な人材が生まれなくなると、将来的にクライアントである企業知財部の弁理士選択の幅を狭めることにもつながる。


値下げと業務効率化

ここで、少し立ち止まって考えてみたい。
確かに企業には各部署に用意される予算があり、それは知財部も例外ではない。また、知財部の予算は決して小さい予算ではなく、開発部の予算に依存するところもあるため、企業全体の業績が落ちたり、開発部の予算が減ったりすれば、おのずと知財部の予算も減る。これは仕方ないし、企業の業績が下がっているのに知財部の予算だけが維持されるのは、経営者の経営能力を疑われても仕方ない。
知財部予算が削減された結果、「特許出願件数」は減る。開発活動が減るのだから、生み出される知財も減るから、出願件数が減る。理屈は通じる。

それが、知財部予算は減らしたいものの、特許出願件数はあまり減らしたくないとなると、「それなら特許出願にかかる費用を削減しよう」となる。企業知財部側の都合の皺寄せは、特許事務所に来る。この理屈は、通じないのではないだろうか。

僕もかつて大手IT企業で知財部のマネージャー職を経験して、予算編成を毎年やっていたため、気持ちはわかる。実際、依頼した特許事務所のパフォーマンスについて単価が高いと感じるときはあったし、「お願いしている業務を社内である程度巻き取るから、単価を下げてほしい」という工夫をしたこともある。
しかし、すでに述べた通り、単なる値下げを特許事務所に要求すると、巡り巡って関係者全員を不幸にすることになる。

今、Smart-IP社では、知財業界の業務効率化のために様々な観点でサービス開発、提供を行っている。しかし、サービスがもたらす業務効率化の先に「特許明細書作成の単価はもっと下げられる」という発想はない。むしろ、DXを通じた業務効率化により、これまで月4件しか高品質な特許明細書を納品できなかった弁理士が、月8件の特許明細書を書けるようになれば、クライアントも喜ぶ。業務効率化により生まれた時間でクライアントのニーズを深掘りする、コンサルティングを行うといった、より付加価値の高いサービスの提供も可能になる。クライアントが満足するサービスを提供できれば、特許事務所への依頼は増え、売上が上がる可能性が高い。そんな、関わる全員がハッピーになる世界を目指して、サービスを開発している。

値段は上げるもの

昔、企業に勤めていた頃の上司から「値段は下げるものではなく、上げるもの」と言われた。
「値段を上げたとしても、『また依頼したい』と思われるために、死ぬほど勉強して、死ぬほど付加価値を高めろ。そうしたら値段が上がる。同じ時間でも売上が増える。そうするとまた時間に余裕ができるから、さらに死ぬほど勉強して、付加価値を上げろ。それを繰り返すのが『正しい仕事』だ。値段を下げてとってくる仕事は『正しい仕事』とはいえない」
冒頭の故・稲盛氏の言葉とともに、今でも僕の中に残っている金言である。

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