【第26回】 墨汁一滴 膵臓がんstage4
Medipathyという活動の振り返りです。
活動報告というより、僕が思ったことを本や映画などを踏まえて考察を深めています。
今回のテーマは、「墨汁一滴」
明治の俳人、正岡子規が自身の死の間際に書いた本のタイトルです。
Medipathyとは主に、医療系学生が昨今の教育ではあまり機会のない、患者さんのお話を深聴き、語り合い、そして笑い合うをテーマに月に一度のペースで開催しています。
参加ご希望の方は、こちらのリンクのお問い合わせからどうぞー。
正岡子規について
江戸から明治に変わるまさにその時、伊予松山で生まれた正岡子規。
俳句・短歌の中興の祖と言われ、生まれ故郷の松山では今も至る所に子規の俳句が見て取れます。
正岡子規は若くして結核に罹りました。さらにそれが背骨に転移して脊柱カリエスという病気になってしまい、34歳の若さで亡くなってしまいます。
しかし、死の直前まで俳句を精力的に詠み、文学への批評を続け、近代文学に大きな影響を与えました。
晩年に子規が書いた著書には、病を嘆き、激痛に苛まれている箇所が多くあります。しかし、時折見せるユーモアや瑞々しい描写は、病人であることを忘れさせるようです。
Nさんも膵臓がんstage4という難治性のがんにかかっていながらも
いつも明るく元気をくれる方です。患者というレッテルを忘れてしまいそうなくらいに。
Nさんと僕の関係
Nさんは膵臓がんstage4です。
実はこの方、1年前の6,7月にもお話頂いています。その時はstage2bだったのですが、今年の年初に再発が発覚してしまいました。
今回は再発という重たいテーマ、そして自分が納得いくまで治療をやり切った経験、そして、死というものを見据えtお話しいただきました。
お会いしてから約一年。
Nさんとはなんでも話せる友人でした。
僕とNさんは年齢が2回り以上離れていますが、くだらない話を沢山しました。
よくNさんをいじって笑いをとらせてもらいました。
そして、お互いが信頼しあっているからでしょうか。Nさんが選んだ治療についても意見を戦わせることもできました。
(結局僕が折れましたけどね。。。笑)
お話の中でも、Nさんのボケ(ボケてるつもりはない)を僕がツッコんで楽しく盛り上がることもありました。そして一番ウケているのはNさんという笑
まさに阿吽の呼吸。
Nさんは人生の師でした。
二回り以上離れているということもありますが、その方は若くして起業され、25年間自身の会社を経営されてきました。人生の先輩として、患者さんとして様々なことを教えてもらいました。
酸いも甘いもご経験されていることからくるのでしょうか、優しさの中に時折見せるドスの効いた目つきをされます。
個人的にはそれをNチェックと呼んでいます。ちなみに、その結果はセーフか一発レッド退場の二択しかないと思っているので、かなりヒリつきました。笑笑
そして、全てを優しく包み込んでくれる母のような方でした。
正岡子規とNさんに見えた精神性
今回、このタイトルにした理由は
正岡子規とNさんには類似点が3つあると思っているからです。(ちなみに、Nさんの性別は女性です。)
1つ目。死の間際まで一つことを続けたこと。
正岡子規は、自作の俳句を創り続け、近代文学に対する探究を続けました。
そして、Nさんはあらゆる人に愛を注ぎ続けました。
6月にNさんがお話しした際、聴き手から
「Nさんの幸せの軸って何ですか?」
という質問がありました。
その質問に対し、Nさんは数秒深く考え、そして涙ながらに
「愛したこと。そして、愛してもらったこと。
娘はもちろん、家族や、愛すべき多くの友達との出会いに恵まれたこと…
心から大好き!と思える人達との出会いがあって、今があるということ」
とお答えいただきました。
おそらくNさんに会ったことのある方ならば、この言葉とこれまでのNさんの言動・振る舞いがピッタリ一致していると感じるのではないでしょうか。
2つ目。どこか客観視していた自らの死
正岡子規は、死の間際まで病の経過や自作の俳句を綴りました。
これらは「仰臥漫録」「墨汁一滴」「病床六尺」といった本にまとめられています。
本の内容は割愛しますが、文学への飽くなき探究心、世への批判、病の苦悩、そしてユーモアあふれる表現が見てとれます。
もちろん、子規は最初から死を客観視していたわけではありません。
激痛に悶え、苦しみ、時には自殺願望などを書き記しています。
しかし、亡くなる前に心境に変化が現れ始めました。絶望からあきらめ、そして人生の楽しみへの転換ではないかと個人的には思っています。
特に、「墨汁一滴」において、失意・絶望の日々から病気を楽しむ日々への転換が現れている文章が書かれています。
去年お話しいただいた時、膵臓がんの発覚からどん底を経て、前を向き一歩踏み出そうとされている時でした。そんなNさんのスタンスは
「娘のためになんとしても生きる。
そのためならどんな辛い治療も受ける覚悟がある」
でした。
しかし、再発しstage4になり、あらゆる治療が効を奏さず、刀折れ矢尽き果てた状態の6月。僕は去年のNさんのスタンスを知っていたので
「1年生きられる辛く苦しい治療。
一方、1ヶ月しか生きられないが痛みもなく楽な治療。
どちらを選びますか?」
とあえて質問してみました。去年のNさんなら迷いなく前者を選ぶと思いますが、一年経って心境がどう変化したのかを知りたくて。
しかし、今回は
「私は後者を選ぶ。治療は自分が納得するまでやり切った。
すごく幸せな人生だったから、悔いはあまりないの。」
とお答え頂きました。
膵臓がんと告知されどん底を経験し、そこから前を向いた。
しかし、再発してしまってstage4に。再び底を経験。
様々な治療法を試したが上手くいかず。
あらゆる波を経験したNさんは諦めの境地に至ったのかな、とその時少し感じることができました。
ここでの諦めはスラムダンクの安西先生の名言
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
の“あきらめ”ではなく、諦めです。
仏教的な解説になってしまうので、詳細は省略しますが
子規が晩年に達した、どこか朗らかな諦めをその時、感じました。
3つ目。泣き虫だったこと
幼少期の正岡子規は良く泣いていたそうです。坂の上の雲にそんな描写がありました。
そして、Nさんも子規に負けず劣らず泣き虫でした。
お話しいただいた時、一緒に企画した時は必ずと言っていいほど泣いていました。なので、途中から僕のKPIはNさんを泣かせることになっていました笑
今年の1月の誕生日の時は、サプライズでBzのWonderful Opportunityを歌い号泣させ
2月・3月は、信頼できる友人を繋ぎ号泣させ
6月は1年ぶりの会でまた号泣させ
ここまでNさんを泣かせたオトコは、僕くらいなんじゃないかなと勝手に自負しています笑
6月にお話しいただいた時、正直あまり長くはないと直感しました。
前述したように、どこか諦めのような感じがNさんには漂っていたので。
なので、亡くなる前、もう一度号泣させようというのが
僕の中での至上命題になりました。
そして、7月の中旬にあと1ヶ月かもしれない。と思い立ち
賛同してくれる仲間を集めてNさんの生前葬(もとい元気づける会)を企画しました。
参加して頂いた方。CP(Cancer parents)の皆様
そして、CPの取りまとめをして頂いたHさん。改めてありがとうございました。
これがその時、集まって頂いた方々の写真です。
Nさんへのプレゼントとして
竹内まりやの「人生の扉」をみんなで歌い継いだ動画をプレゼントしました。(100個くらいあるファイルを僕が編集しました。。)
生前葬を企画したとき、「人生の扉」を流すことは決めていました。
この曲はあまり有名ではないですが
もうすぐ旅立つNさん、残される人の両者が死を意識しつつ、それでも明るく・心が透き通るような気持ちになれる歌詞だからです。
そして歌を流し終わった後、一人一人がNさんにお礼の言葉を述べて会は終わりました。
もちろんNさんは大号泣。
子規逝くや 十七日の 月明に
子規が亡くなった時に、弟子の高浜虚子が詠んだ歌です。
月明かりと共に子規が天に昇る情景を、綺麗に描写した俳句だと思います。
結局、Nさんは8/19の早朝に旅立ちました。
Nさんはティンカーベルのようにみんなに元気を振り撒いてくれました。
昇る朝日のように色んな人の暗闇を照らしてくれたようにも思います。
N子逝く 十九日の 暁に
49日を迎えたNさんへ