オンラインでつながる教育の新しいカタチ-特別を普通に-
先月のこと。
西都市の妻高校の方にお伺いして、オンライン授業のサポートをさせていただいた。シスコシステムズの「デジタルスクールネットワーク」の中で実施いただいた。
参加校は、北海道、石川、そして、宮崎。このあと、海外ともつなぎながら進めていく予定。一体どうなるのか。楽しみなプログラムである。
さて、最近、オンライン教育がどのように教育を変えようとしているのか、自分自身の経験を踏まえて、また、このプログラムで感じていることを少しだけ書いておきたい。
深く学ぶためには、広く学ぶと良い?そのための手段の1つがオンライン教育の活用ではないか。
今いろいろな学校で関わる中で、もう1つ何かあると良いなと思うのが、「他者(他地域)との比較」である。各所とも、深く、そして、丁寧に学んでいることは言うまでもないのだが、一方で、改めて自分の地域を言葉にしたり、全く知らない他者に説明したりという機会が少ない。実は、自分たちの普通は特別である、ということに気づかいないのである。
例えば、今回のプログラムでも、北海道の高校から妻高校に、
「古墳って、実際にどんなもんなんでしょうか?」
という素朴な質問が飛んだ。妻高校のある西都市は古墳が300以上ある。
いつもだと、当たり前過ぎて、「古墳ってあれよ、あれ。」と言えば普段はよいのだろうが、他県の人に改めて伝えるとなると色々と考えや言葉を整理しないといけない。そして、イメージを伝えるには、一体どうするか。頭を捻る必要がある。こういう時間は実は学校の中や地域の中だけでは実現できない。
ちなみに、妻高校は、古墳について書かれているHPを見つけて、紹介したりもしていた。そういう方法も良い。
一箇所から良質な学びを全国へ同時に提供。それにより、現地にいる教育者の役割が変わってくる。
今回は、Webex(リモートアプリ)を活用して、大学の先生に東京から話をしてもらい進めるプログラムだった。途中で各学校でグループを作り、ワークの時間もあった。発表の時間もあれば、参加校をつないでの質疑応答もあった。非常に刺激的なプログラムである。
ただ、その中での現地の教育者の役割が非常に重要だということに気づく。
例えば、目の前にいる子どもたちの困り感、腑に落ちなさ感などが見えるのは現場にいる教育者である。適宜補足することも必要かもしれない。また、素朴な子どもたちの疑問、質問などを拾い、支援することもできるかもしれない。現場のモヤモヤは、全体のモヤモヤに昇華する可能性もある。そうなったときのメイン講師との連携も可能かもしれない。そうなっていくとよりティーチャーという役割を持つ比重が減っていく場合もあるのではないか?ということを考えた。そして、そういう観点を持つことができるも、あえてティーチャーの役割を手放したからかもしれないなと。こういう役割の使い分けというのも求められるのあろうなと思ったところだった。
最後に。
妻高校でご一緒した先生は、コロナ禍の中で、オンラインやICTの可能性をスタート時から考えさせてもらった方だった。2020年時点では考えられない、「授業スタイルだよね」と過去を振り返った。今は、こういう学びが普通にできる。その普通を普段使いにできるとより良いなと思うところである。
これから来年まで続く。楽しみ楽しみ。