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オーストラリア人から伺うオーストラリアのあれこれ-世の中、知らないことを知る機会は実は溢れている-
宮崎に帰ってきてから、国際交流というキーワードが自分の中に入ることが増えてきた。仕事でもそうなのだが、
最近だと、IYEOという団体にも加入した。
高校のときに、強烈な英語への苦手意識があったので、絶対に海外に行くことはない!と思っていた自分では想像できない。。。
さて、そのIYEOの宮崎県支部のイベントで、オーストラリアのことをオーストラリア人から聞けるというものがあり、6月初旬に参加してみた。
ALT(ALTとはAssistantLanguageTeacherの略です。日本人教師の助手として、生きた英語を子どもたちに伝える役割を持った、英語を母国語とする外国人の先生のこと)をされている方から、オーストラリアの、
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などを伺うことができた。その方が、オール日本語でお話しされていたのがとても印象的だった。自分に置き換えたときに、日本のことをどれだけ多面的に話せるだろう?また、それを外国の言葉で話すことができるだろうか?かなり難しい気がする。すごい。
そして何より、母国から日本に来てくれたことも本当にありがたいなと思ったところだった。私自身がその選択をできるか?大きな不安や躊躇が自分の中で生まれそうだと思っている。
話を聞きながら、次のことを思った。
英語教育ももちろん大事である。が、それとともに、外国人から日本語であっても外国の紹介を受けるのはとてもよいのではないか?
また、その紹介を受ける中で、自分自身はそのようなことが日本語、外国語問わずできるか?を考えるきっかけは非常に重要なのではないか?と思った。
更に、相手の国のことを知っていることはコミュニケーションをする上で有効であることも気づいた。どんな人がいるか、どんな場所があるか。些細なことでも打ち解けるきっかけになる気がする。
こういう場作りやコーディネートをすることの重要性を感じた1時間だった。
また、こういう場の存在を伝えることも重要ではないかと感じた。みんな知っていたら良いのに。得たいと思ったときに、手が伸ばせるということが重要ではないだろうか。
世の中には、たくさんの情報が実はある。
でも、見えない。
見える化することの重要性と、なぜ見えないのか?を考えることが今は大事な気がしている。