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意識の高いスローライフ

東京や横浜や大阪、都市部でバリバリ働いている友人たちが茅ヶ崎に遊びにくると、彼らのエナジーの高さと行動のスピード感にちょっぴり驚く。

彼らは忙しい日常から解放され、リゾート気分で茅ヶ崎を訪れ、海と太陽と心地よい風とビールを満喫しにきているのだから、ふだんからそこに生息している僕と遊ぶためのテンションがちがうのは当たり前だ。

逆に、長いことオーストラリアに住んでいて、午前中だけ働いて、午後はサーフィンをして、夕方には缶ビールを何本も空にして早々にベッドに入る──なんて暮らしをしている友人に会うと、スピード感や空気感、バイブス、とでも言うのか、波長が合って、またなるほどと思う。

──いわゆるスローライフ、というやつなんだろうな、と。

ただ、僕も茅ヶ崎に移住して二十年、いろんな浮き沈みを経験しながら、精神的にも成熟しながら、あたりを眺めてみて、気づいたことがある。

いわゆるスローライフ、と呼ばれている、ゆったりとした時間を生きている人たちは、総じて意識が高いのだ。

以前は、なんとなく逆で、スローライフを生きている人たちって、のんべんだらりとしていて、エナジー値も低く、呑気にやっている覇気のない人たち、みたいに思ってた。

でも実際は、スローライフって、意識が高いからこそ、自然と調和した人生を、あるいは自分らしく生きよう、っていう、なかなか強固な覚悟や信念があってこそ選ぶことのできる生き方なんだな、って。

たとえば、毎朝ヨガをやって身体を整えて、サーフィンをして地球の律動とひとつになって、旅をして心身をリフレッシュしながら見知らぬ世界を覗いて、必要なだけのお金を稼ぎ、必要なものだけで暮らす──ざっくりだけど、そんな生き方は、心地よいけれど、自分で選んでいなければ、けっこうタフなんだ。

InstagramやYouTubeで見かける、田舎暮らしを選んだ人たちも、自給自足をしたり、勉強したり、知恵を絞ったり、仲間とあれこれ試行錯誤したり、行動力もあるし、意識もエナジー値も高い。

そこには、ある種の手放しと諦めがなくてはならない──自分はこれを選ぶけど、でもこれは手放す──、そういう意志がなければ、スローライフを満喫することはできない。

上場企業の経営者や、手広くやってる実業家の友人たちもいるけど、彼らがいずれリタイアしてから生きたい人生を、今すでにやっている人たちには、それなりの覚悟と意識とエナジーがある。

もちろんどっちがいい、という話をしているわけじゃないよ。

ちょっと前に、意識高い系──、という、ネットとかで先進的なことを追いかける人たちをちょっと揶揄するような言葉があって、僕も内心、「あいつら意識高いなあ」なんて心の裡で笑っていたところがあるんだけど、今あたらめて、なんだ、やっぱそれでよかったんじゃん、なんてちょっと反省してるんです。

意識って、覚悟だし、決意だし、方向性だし、自由だし、なんなら人生を創造するためのエンジンだからね。

やること、生きる道、行為、どうするか──は、なんだっていい。人それぞれが好きにやればいい。

でも、──無意識に、現実の流れに流されて、それで人生が苦しかったりしんどかったりするんだったら、それはちがうよな。

意識を高く持っているからこそ、自分に合ったゆっくりと心地よい自由な時間を持つこともできるし、エネルギッシュにバリバリお金や豊かさを循環することもできる。

そもそも僕らは、思考を手放して、意識に目覚めるために生きている、とも言えるんだけど、それはまだ先のお話しなので、いずれ……😌

さて、スーパーへ今週の食材を買いに行ってくるよ。最近ブロッコリーが高いんだよな。じゃあね!

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