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七色のエナジーの循環──これはオレの話じゃない、オレたちのストーリーなんだ。

人生には、様々な局面が訪れるものだ。

家族で幸福に暮らしていたと思ったら、ある日突然何かの出来事によってそれが粉々に壊れてしまったり、かと思えば、暗い水底で罪悪感と孤独に打ちのめされ、すでに墓に入っているような状態でいたのに、思いがけない幸福がやってきたりする。

オレたちは自分で人生を選んでいるような気がしていても、年を重ねるにつれて、この世界には大きな流れがあり、それには逆らえないことを学んでいく。

そして痛みや苦しみが癒えたとき、不幸や哀しみと呼ばれる人生のネガティブな出来事はすべて、その大きな流れを学ぶための──自分自身が成長、成熟し、アップデートされるために起きた試練──であり、贈り物であり、自然の理であったのだと気づく。

これは、人々の状況、フェイズに限らず、誰にでも起きていることだ。

オレたちはカルマや運命、大いなる流れと呼ばれる現実に逆らうことはできないが、それらと同調し、流れに乗って生きることはできる。──そのように、ありのままの現実と調和して生きることを、タオを生きる、という。

Living in Harmony with the way Things are. ──TAO

安らぎや喜び、愛ややさしさ、幸福とは、自分の願望や成功の先にあるのではなく、大きな流れと共に生きる人生の先にある。同時に、大きな流れと共にあること自体が、最大の安らぎでもある。

数多くの芸術家、音楽家、小説家、映画作家たちは、それぞれに与えられた表現によってそれらをオレたちに伝えようとしている。巨大な経済を動かすビジネスマンたちはその大きな流れを何より大事にすることでそれをオレたちに教えてくれる。偉大なスポーツ選手、アスリートたちもまた、困難を乗りこえて成長し、アップデートし続ける姿を見せ続けてくれる。

ひと言で言ってしまえば、どのような仕事や日々の営みをしていようとも、成功し、結果を出し、充実した人生を生きる人々は、本質的には同じことをしている。

大きな流れに逆らわず、常に自分を成長、成熟させ、アップデートし、クリアな意識でジャッジなく世界を眺め、自分の望みと他者の幸福が交差する最高地点に全身全霊を注いでいる。そしてオレたちは皆、その道を歩くようにできているのだ。

オレがそのことに気づいたのは、多くの人々がそうであるように、やはり大きな挫折と絶望の底においてだった。灯りひとつない暗闇をさまよいながら、オレは自分自身を手放さざるをえなかった。

その時の自分を握りしめていたら、あの時のオレのままでは、もうそれ以上生きながらえることができなかったのだ。そこにはたとえようのない大きな混乱と苦悩が伴ったが、過去の痛みを背負った自分を手放すことで、オレはオレの真ん中に眠っていた本来の私、本当の自分に再会することができた。

誰もがその真ん中に、他者とのしがらみや痛みの記憶、ねじまげられた価値観、傷を伴った思考を削ぎ落とし、自分を守るための鎧を脱いだときに現れる、──ただ生きているだけで輝く素晴らしい存在である自分がいる。その自分の真ん中を仏性と呼ぶ。

その本当の自分は、オレたちが自分自身の本当の気持ち──抑圧し隠蔽した心の叫び──、を取り戻したときに、その姿を現す。昨日観たディズニー・アニメ〈モアナと伝説の海〉でもそれは描かれていたぜ。

オレは絶望の底で、忘れていた、眠っていた本来の自分に再会し、光を見出すことができた。だがそれだけでは充分ではなかった。

本来のオレがありのままで素晴らしい輝く存在であることはわかったが、オレの中にはまだ深く傷ついた少年がいた。

トニーが「少年を癒すと、男が現れる」と言ったように、オレの内なる少年はまだ他者や世界に怯えていて、オレは自分を癒す必要があったが、そのことにはまだ気づけていなかった。

オレはそれからも、希望や理(り)を見つけ、立ち上がり、歩き出し、けれどまた転び、倒れ、動けなくなり、やがてそこで無為を知り、学び、這いつくばりながらも、少しずつ進んできた。

今振りかえれば、あの暗く恐ろしい日々も、オレにとって必要な成長と成熟、アップデートだったのだ、と心から思える。もう二度と戻りたくはないが笑。

今、オレが辿り着いている場所──安らぎとパワーに溢れて、人生の残りの時間を最高に輝かせようと希望とエナジーに充ち満ちてパワフルに生きている今ここ──は、言うなれば、オレたち誰もが本来持っている七つのエナジーをすべて循環する、という生き方だ。

安らぎや悟り、達観や調和といったスピリチュアルなエナジーだけではない。強い気持ちや覚悟、自己や自我のパワー、行動力といったフィジカルなエナジーだけでもない。

あらゆる種類と、あらゆる質のエナジーが、すべて循環することで、オレたちはオレたちの持っている潜在能力を最大に発揮することができることを、オレはようやく学ぶことができた。その点についてはみんなに礼を言いたい。ありがとう。心から感謝してる。

元気にパワフルに生きることだけが調和や幸福ではない。人々にはそれぞれのタイミングとフェイズがある。病むとき苦しいときは猫のように暗がりに静かに身をひそめ何もしないこともエナジーの循環だし、哀しみの底でじっと世界を見つめることもオレたちの成熟に繋がる。動きながらでは見えないことがたくさんあるのだ。

エナジーの種類は様々で、故にエナジーはいつも回っている。それに気づくことだ。無駄な時間、無駄な体験はない、というのはそういうことだ。

オレはこれから、その〈七色のエナジーの循環〉を主軸に、オレが今日までもらったもの、気づきや閃きや創造性、この世界の理、オレたちがいかにして最高の自分になって、最高の人生を生きるのか、そしてこれからも神なる現実からもらいつづけるそれらの豊かさを、あらゆる形で表現し、世界に循環していく。

この文章ははじまりであり、エナジーの循環や世界の理の概要にすぎない。だがすべてはいつも今ここからはじまる。

さあ、オレたちの人生も今からはじまるんだ。どんな状況にいようとも、病めるときも健やかなるときも、やることはひとつだ。最高の自分にアップデートしつづけ、最高の人生を創造しつづける。その道(タオ)へ向かうこと、見つめることだ。

これはオレの話じゃない、オレたちのストーリーなんだ。

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