上にいいように使われる任侠道とは?~映画『仁義なき戦い 広島死闘編』~
はっきり言って「極道の世界」に憧れはありませんが、それでもなんとなく「格好良さ」を感じさせられた、前作『仁義なき戦い』。
そんな前作が「任侠の世界を描いた群像劇」だったとすれば、続編の『仁義なき戦い 広島死闘編』は、どちらかと言えば北大路欣也演じる「山中正治」個人を中心に据えた内容だった、と言えるでしょう。
山中自体は度胸も座っていますし、狙った相手はほぼ確実に仕留める、ヤクザ的には評価される人間なのかもしれません。
しかし菅原文太演じる「広能昌三」のようなタイプと比べると、どうしても見劣りしてしまうと言うか……。
結局、上の人間の命令を聞く、もしくは便利な道具として使い捨てられることしかできない、そういうタイプなのではないか、と思えてしまうんですよね。
親分の姪御さんに手を出してしまう点も、考えが足りないですし。
広能が「任侠タイプ」だとすると、山中は「チンピラタイプ」もしくは「鉄砲玉タイプ」って感じがして、どうにも器の小ささが感じられてしまう気がします。
死んだあとの葬式で、親分衆から「任侠の鑑」なんて言われてはいるものの、結局それは親分衆にとっては「思いどおりに動く便利なコマ」として褒められているだけなんですよね。
ただ一方で、広能も「組を構えたはいいものの、渡世的には困窮している」なんて姿が描かれていますし、哀しいところではありますが。
また山中と並ぶ、もうひとりの主人公的な存在が、千葉真一演じる「大友勝利」。
彼は任侠など関係ない、自分の欲望に忠実なタイプの、山中とはまた違ったタイプのチンピラです。
かなりインパクトのある存在ですが、あまりにも子供じみた言動と残虐性が目立ちすぎて、個人的にはあまり好きではありません。
本当、インパクトはあるんですけどね……。
と、なんだか文句ばかりのようですが、前作とはまた違ったテイストで楽しめました。
映画としては、本当に良い作品だと思いますね。