「自由」と「混沌」は紙一重~映画『フリー・ガイ』~

※ネタバレありますのでご注意ください



ゲームに登場する「モブキャラ」がヒーローとなる。

こう聞くと「正義に目覚めたモブキャラが悪と戦うハードアクション映画」的なものを想像するかもしれませんが、この映画はそういったものとは一味違いました。

かなり面白かったです。

普通は常に同じ行動を取り続けるようにプログラミングされているモブキャラが、自分の意志を持って惚れた女性のために頑張る、そして最終的には自分の住むゲーム世界を救ってヒーローとなる、その姿がコメディタッチでうまく描かれていました。

なによりも「ガイ」が基本的に超いい人で、あまり暴力沙汰は好まない、悪人と見れば問答無用で暴力を使って排除する、といったタイプではないのが、映画のタイトルにも付いているフリー、つまり「自由」について考えさせられるポイントとなっています。


物語の舞台であるオンラインゲーム「フリーシティ」は、プレイヤーたちがどのような暴力的、犯罪的行為をしても許される街です。

むしろ「銀行強盗をおこなう」といったミッションが設定されていたり、モブキャラを攻撃することで経験値が手に入ったりと、暴力的な行為が推奨されているシステムとなっています。

これはこれで、またひとつの「自由」な形ではあるわけです。

映画を見ていると、モブキャラたちに暴力を振るい、犯罪行為を楽しむゲームのプレイヤーたちが「悪」のように感じられますが、決してそうではないわけですね。

「自由」にはさまざまな形がある、ということなのです。

そんな暴力的なゲームのモブキャラである「ガイ」が非暴力的で、犯罪し放題の自由とは違った形の「自由」、惚れた女性を助けるなど自分がやりたいことをやる、最終的に他のモブキャラたちにも「自分がやりたいことをやっていいんだ!」と訴えかけるキャラクターであることが、面白い部分だと感じました。

またこれは「フリーシティ」のモブキャラたちに組み込まれたAIの根底に、他の非暴力的なゲームのシステムが流用されている、という物語の根幹部分を示唆する設定でもあります。


そしてラストシーン近くで「ガイ」が、好きになった女性(現実世界のプレイヤーが操る女性キャラ)を「住む世界が違う」と諦め、現実世界にその女性を見ている男性がいる、ということをそれとなく伝える姿を見て、その理性的な判断と思いやりの心にまた驚くわけです。

「ガイ」はAIですが、ほとんど人間と変わらない思考や感情を持っているほどに進化しているわけで、もうここまでくると「生命」と言っても過言ではない存在となっているのですね。

現実の世界で「ガイ」のようなAIが登場したら、世界は変わってしまうのではないか、と驚きを飛び越えて恐ろしさを感じてしまうほどでした。


そして物語のラストは「フリーシティ」のモブキャラたちが暮らす、新しいゲームの街並みが映し出されるわけですが……。

街中を恐竜が歩いていたり、ビルと大きな木が一体化していたり。

「自由」というよりも「混沌」と言った表現が正しいように感じてしまった部分はあります。

これがまた「自由」の難しいところで、一定の規律がないと「自由」は「混沌」とあまり変わらないんですよね。

その「混沌」がうまく「自由」として機能しているうちはいいんですが、そのうちほころびが出て、収拾がつかなくなってしまうことがあるわけです。

また「ガイ」以外のモブキャラたちも、自己進化するAIの持ち主ではあるわけで、もしそれらのモブキャラのなかから「暴力的、犯罪的な行為をしたい」と考える者が誕生したら……など、物語が終わった後のことを考えると、少し複雑な気持ちにもなりました。

「ガイ」たちが暮らすのはあくまでもゲームの世界であって、現実の世界ではそれを見守るプログラマーなどが存在するわけですから、対処はできるのでしょうが……結局それは「管理された世界」であるわけです。

では「本当の自由」とは、なんなんでしょうね?


あ、あと映画内に、他の映画に関する小ネタなどがかなり登場したみたいなんですが、あまり洋画は見ない人間なもので、気付けないものが多かったのはちょっと残念でした。

それからパンフレットが売っていなかったのも残念。

たぶんゲームの詳細な設定とか、モブキャラにどんなキャラがいるとか、そういう細かい部分をパンフレットで補完してくれれば、もう一度観たときにより楽しめると思うんですが。

コロナ禍で上映スケジュールがグチャグチャになっているので難しいかもしれませんが、どの映画もパンフレットを制作してくれるように頑張ってもらいたいです。

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