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社会は教育の要件元だとすると、次の社会とその教育って?

突然ですが、今デュルケームの道徳社会論を読んでいます。

正直難しい本です。頑張って今読み進めているところですが、
前回、society5.0のことについて記事にしたとき、この本の内容と関連して感じたことがありました。今回はその点考察したいと思います。

道徳教育論

エミール・デュルケーム
道徳教育論

まだ読み切れていませんが、この本の一節

教育は社会的な事物である

これがとても印象に残っています。
社会が教育の要件定義元となる、つまり
社会ありきでその教育がオーダーされる
と理解しました。
その社会に求められる人材開発と言った面もあるかもしれません。

society1.0から5.0の考えに当てはめてみると

例えばsociety3.0時代を考えると、
工業により発展した時代では、
おそらく工場などに従事できる人材開発が、
教育のウェイトをしめていたのではないでしょうか。

では現代はどうでしょうか?

society4.0は情報社会の時代と言われています。
いわゆるIT系の仕事に従事できる人材開発が、
教育の要件だったのでしょうか。

society4.0から5.0まで20年程度

インターネットが商用利用されたのが1995年だそうです。
日本では有名な「IT革命」という言葉は、2000年に登場しました。
IT革命を基準にできるかは分かりませんが、
この時期くらいから学校でもパソコンを使った授業が出始めてきたように思います。

ただ一般的なリテラシレベルで、技術的な教育ではありませんでした。
しかし、技術職に従事しないにせよ、情報化が広まった社会に対応できること
という意味では、社会像を反映していたのかもしれません。

さて、
ここで僕が気になったのは、4.0を見据えた教育が始まりつつある時代から、
5.0が提唱され始めた今日まで、たった20年程度しかたっていないということです。

もちろん5.0はまだ到来していませんし、80年代、90年代くらいを過渡期と考えても、
50年くらいではないでしょうか。

1.0から3.0時代を考えると、圧倒的に短くありませんか?

社会が変わるスピードが・・

新技術や全く新しいサービスの登場など、
やはり社会が変わるスピードというのは、速くなっているように感じます。
それに加え、
社会が抱える課題というのも、複雑化、そして広範囲化しているように思います。

もし社会が教育の要件元になるのであれば、
社会が変わっている中、
教育はそれに対応して変わっているでしょうか?

思いつくのはプログラミング必修化でしょうか。
しかしそれが昨今、そしてこれからの社会像を反映しているかというと、
個人的には違和感があります。

そもそも社会が変わるスピードが上がっているのに、
それ全てに教育を対応させていくか
というと、それはそれで現実感がない気がします。

社会は○○なもの

それに対して具体的な教育というのは、
社会が変わってしまった時を考えると、
応用性があるのでしょうか。

一応プログラミング教育に関しては論理的思考を養うという目的があるので、技術よりも抽象的なところを目標にしてはいますが・・・
なんとなくより根本的なところが気になって仕方ありません。

社会が変わりつつある昨今、
そして今後も変わり続けるであろう世の中です。
定義付けることは難しいですが、

「社会は変わり続けるもの」

として捉えてしまうことは考えられないでしょうか。
そしてそれに対応できる教育を施していくこと、
そう考えると、次の社会の教育が見えてくる気もします。

次回はそれに対して、考えを深めてみたいと思います。

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リュウザキアキノブ
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