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手記vol.5 男の乳首不用論
身体にある器官のなかで、男の乳首ほど全く意味の無いものって他にある?なぜ無くならないかと言えば一定数の男が乳首攻めに屈しているからだろう、軟弱者どもめ、と思う一方、長い人類の歴史の中で淘汰されなかったという事は乳首攻めアンチこそ生物学的には軟弱なのか?いや、そんな訳が無い
進化論の有名どころは用不用説とダーウィンの進化論になってくるんだろうか。キリンでいえば前者は進化の中で首を伸ばしていった、後者は首の長い奴だけが生き残った(自然選択、自然淘汰ってやつ)。ちょっと考えたら絶対後者が有力だよな、素人が聞いても。今は総合説というものがあるらしい。よく分からないが大筋はダーウィンの説に近いらしい(新ダーウィン主義ともいうらしい)。
そうなってくると、私の「男の乳首」に対する私見は的外れになるんだろうか。用不用で語ってしまっている気がしてくる。けど、自然淘汰で無くなっていないんだよ、男から乳首が。乳首がない人種がこれまで人類史に登場したことがあるのか、が争点になるのか?もしあったとしたら、その人種が優性遺伝として残ってきていない以上、人という種の中では乳首があるほうが生物的に強いことになってしまう。だめだ。
乳首の存在意義を考える
現代まで、乳首が淘汰されずに残り続けてしまった理由を考える。一番合点がいくのは、裸体の様式美だと思う。なんかバランスがいいから。ただこの感覚も男にも乳首があって当然という固定観念のせいである。目を覚ませよ人類共、人間の体において「なんかあったほうがいいから」ある器官なんて他にない。そもそも、見た目の良さだけを追求して人種が進化してきたら今頃全員美男美女なのでは?忌まわしきルッキズムが根強く残っていることもないだろうが。却下却下。
続いて、動物的に性欲が強いほうが生き残る論。これも言語道断だろう。乳首攻めに屈してしまうような軟弱者が生物学的に強いわけがない。許さない。これを読んでくれた方々も乳首攻めに屈すことは日本男児として恥じるべきだと思ってほしい。亭主関白だなんだと言って、厳かな雰囲気を醸し出していたひと昔前の日本男児たちが、夜は奥さんの乳首攻めに屈してきたなんて、絶対に考えたくない。性欲が強い種が残ってきたとするならば、そんな受け手に回ってしまう軟弱者、淘汰されてくるべきだろう。はい却下。
そもそも乳首の存在意義は、乳児への母乳供給にあるのだから、性的な消費をしてしまうこと自体、人類は間違えている。男に限らず、人間の乳首の存在意義を考えれば、明らかにこれまでの人類史における乳首の受容は狂っている。何故男が乳首にエロティシズムを感じるのか、そこから考えないといけないのか?では女性は男の乳首にエロティシズムを感じるのか?一定数そのような人もいるのかもしれないが、であれば男にも乳首を隠す、という意識が生まれないと整合性が取れないだろう。つまるところエロティシズムの対象にもなっていない。考えれば考えるほど、なぜ存在するのだお前は。
ここまで熱く不用論を語った私自身にも、忌まわしき乳首は存在してしまっている。要らないと強く想い続けることで、そしてこの考えが伝播していくことで、何百何千年後の人類の雄という種から、乳首が無くなっていることを祈るほかない。
おわりに
長年持ち続けている考えではあるが、こんなことを語れるくらいに心身ともに回復してきて、私事ではあるが転職活動も本格化してきた。鬱脱却日記、と題している以上、脱却後はタイトルを変えたいけど何かあるかな...
年末にこんなん書いてていいのか自分?平和、ということにしておきたい。
今年は人生で一番体感短い年だった。皆様よいお年を。
(いつも今日の詩、曲と称していくつか好きな詩と曲を最後に紹介しているけど、こんな記事で紹介されても…という感じだと思うので、今回は遠慮しておきます、別記事もよかったら読んでくださいネ)