Last Song.Last Name...#16
深々と雪が積もる。
電車の窓から見える景色は
段々とその白が薄れていく。
融解したのか、降らなかったのか。
わからないけど、確かに彼女が待つその場所へと近づいている。
いつものモニュメントで彼女は先に待っていた。僕はその姿を見つけて慌てて駆け出す。
「ごめん。寒かったよね。」と声をかけた。
「寒かった。けど、心はあったかかったよ。」
と彼女らしいセリフが鼓膜をかすめる。
優しく確かにそう聞こえたセリフは、
さあ行こう、といつもの調子で手を引く
彼女の二言目でどこかへと消えてしまった。
またどこに行くのか聞き忘れた。
と思っていたらいつもの道を辿っていた。
いつもの席だが頼むものはいつもと
違った。
「すいません。今日はホットミルクをふたつ、お願いします。」
「最近、胃の調子が悪くてさ、って話してたよね。」
「うん、聞いてたよ。僕もなんだ。急な寒さのせいかなぁ。」
ホットミルクを運んでくれたマスターが
そこで一言。
「今年の冬は冷えますね。どうぞ、ごゆっくりと。」
ありがとうございます。
と心からの声を僕らは返した。
その一言とホットミルクが
心の温度を少し上げてくれた。
そこで先手を打ったのは僕だった。
「あのこれ、大したものではないんだけど。メリークリスマス。」
え、え、と感嘆のような声を漏らす彼女。
そんな大したものではないんだけどな。
と二度目の同じセリフを心の中で思う僕。
「ありがとう!開けていいかな?」
と落ち着いてから、僕に言う。
「んー。お家に着くまでが遠足だから。家に着いたら、かな?」と言うと
「ヒドイ!ひどすぎる!マスターこの人、ひどくないですか?」
と声をカウンターの方へ飛ばした。
「んー。そうですね。私にはあなたの気持ちも彼の気持ちもわかるような気がします。」
その言葉に僕はホッとした。
「怒った。もう今日は飲んでやる!」
と彼女は持参したワインのコルクをすぐさま抜いていた。
「マスター、グラスふたつ貰うね。」
彼女の行動は怒りに任せてか、いつもの
2倍速のようだった。
「はい!ちひろも!」
この勢いに断りきれず乾杯もなしに飲み出す彼女に合わせて僕も口をつけた。
誰でも知ってるとは思うが、キリスト教を
信仰する人達は確か、赤ワインと食パンでイエスキリストの誕生日、いわゆるクリスマスってやつをお祝いする。
と聞いたことがある。食パンだったかが、
曖昧だけど。
だが、ひかるはそれを知らないようだ。
白のスパークリングワインだった。
彼女は聡明だと思うけど、どこか抜けているところもある。
「なんで開けちゃだめなんだよー。」
と頬を赤く染めて、呟いている。
家に帰るまでが遠足だから。
と冗談のつもりが信じてしまった彼女に
僕が向けた言葉。
怒らせなかったら、このワインの出番は
なかったのだろうか、と考える。
おそらく答えは違う。
きっとどこかのタイミングで雰囲気とかを読みながら彼女が出して、乾杯とグラスを傾けて飲むことになっていただろう。
彼女の様子をみていたが、声をかける。
「ひかる?酔ってる?」
「んー、どうかな。私すぐ顔赤くなるからー。どうだろう。」
とつまらない授業を聞きもせず眠る学生とよく似た格好でテーブルに伏せ、目を閉じたままで彼女は言う。
いや、これは寝てるなと気づくのに
それから3分かかった。
名前を呼んだが、返事がない。
僕は何年振りか、もしかしたら
一度もやったことないおんぶをして
彼女を運んだ。
ビジネスホテルを何件か回って
ようやく一部屋空いているホテルを
見つけた。そりゃそうだ。こんな日に
ホテルが空いてることが奇跡だと思った。
彼女の重さはほとんど感じなかった。
だが、僕の体力があまりにもなさすぎて
おんぶしながら、歩き、やっと見つけた
ホテルのチェックインを済ませると
疲労感が滝のように押し寄せた。
彼女をベッドに運んで、明かりを消して
ロビーで寝ようと思い部屋を出ようとした。
「待って、どこ行くの?」
小さな声が部屋の奥から聞こえてきた。
今にも消え入りそうな声だった。
「起こしちゃったか。ごめん。」
明かりを少し灯して彼女が横になっている
ベッドの足元の方に配置されているソファーに腰掛けた。
「今日くらい一緒にいて。」
「私のバッグの中に入っている箱開けてみて。」
人の荷物の中身を覗くのは僕のポリシーに
反するがここは従うことにした。
「開けるね。」と声をかけたが
反応はなかった。しばし、考えて
少しためらったが開けることにした。
緑と赤のリボンがついたその箱を
開けると中にマフラーが入っていた。
紺と白のストライプのマフラー。
僕の好きな色だった。
そして小さな手紙が入っていた。
【いつもこんな私と一緒にいてくれて本当にありがとう。一緒にコーヒー飲んでくれて、ありがとう。ギターを弾くキッカケをくれてありがとう。】
何回ありがとうを言うんだ。
そしてありがとうを言いたいのは
言わなくちゃいけないのは僕の方だ。
僕はそんな当たり前の事ですら
一度も伝えたことがなかった。
言葉にするのが気恥ずかしくて
思っているだけで伝えたことがなかった。
そして僕は手紙の裏に僕の想いを書き連ねた。書き連ねたと言っても、そんなに長くもなく、短くもない、いや長かったかも知れない、人生で初めての人に向ける言葉を届けと願い想いを込めた。
【いつも本当にありがとう。言葉でうまく言えないから、この手紙を読んでくれるだけでも嬉しいです。迷惑かもしれないけどこんな僕ですが、あなたが好きです。付き合おうとかそんな大それた事は今は考えていません。一緒に居られるだけでも幸せです。生まれてきてくれてありがとう。】
と書いたところで気づいた。
その一番下にすごく小さな文字でピンクのペンでこう書いてあった。
【好きです。付き合って下さい。】
僕がこれに気づかなかったら彼女は
その後誰かと付き合っていたかもしれない。
僕はかなり鈍感な方で好きです。
という言葉を伝えられても信じたことが
一度もなかった。
音楽以外にギター以外に興味がなかったし、
夢中になれるものがなかった。
当然、人に、こと異性に、特別な感情を
抱いたこともなかった。
人を信じることが出来なかった。
でも僕は彼女との出逢いで人を信じるという
素晴らしさ、大切さ、その美しさを
この歳になって、ようやく実感できた。
僕は彼女の枕元にその手紙を置いて、
ソファーで眠りについた。
やっと言えた。手紙だけど言えた。
図ってもいなかった、こんな日に。
心が満たされていき、そんなことを
思いながら気がつけば眩しい光が
大きな窓から射し込んで目を開いた。
そして部屋いっぱいにギターの音が
響いていた。
ベッドの上でギターを弾いてる彼女は
僕が目を覚ましたことに気がつくと
今まで見せたことのない天使のような
微笑みを浮かべていた。
それを見た僕は心が今まで感じたことのない
名前も知らない感情で満たされていくのが
わかった。
気がつけば涙を流していて、
その涙はいつの間にか僕の首に巻かれた
マフラーに染みていった。
人の前で泣かないと決めてここまで
生きてきた、下らない男の変なプライドに
終止符を打った。
彼女は言った。
「それが嬉し涙、今、ちひろの心にも、私の心にも、いっぱいに膨らんだ感情の名前は
愛だと思う。」
僕はそれを聞いて、どんなメロディーに
乗った言葉より、どんな本に載っていた言葉よりも心にたしかに響いた。
ただ、ただ、泣いた。
もう恥ずかしさなんてものは一切なかった。
僕は残り少ない人生で愛を知った。
そして、今気がついた。
12月25日。
今日の19年前、僕が生まれた日だった。
0時過ぎだったと聞いていた。
そしてそれを教えてくれた両親は
僕が7歳を迎えてすぐに交通事故で
亡くなっていた。
早すぎる死を、死というものを
受け入れらなかった僕は、
あの日、心を失くした。
僕は12年後の今になって、今更になって、
心を取り戻すことが出来た。
それから
ありがとうとひかるに何回言っただろう。
彼女は泣きじゃくる僕を優しく
抱きしめてくれた。
僕はその時に気がつけば彼女の耳元で
小さな声で掠れた声で言っていた。
「僕はこの日のことを、出逢ってから今日までのことを、来世が何回あっても忘れない。」
そして彼女はそれを聞いて
泣きながら言った。歌っていた。
「泣きながら、泣きながら、本当はもう少し生きてたい。ありがとう、ありがとう、私を見つけてくれてありがとう。」
二人の涙が染み込んだマフラーが
涙の色に変わっていることにも
気がつかず、僕は思った。
誓った。
願った。
信じた。
伝えた。
「何度も言うよ、愛してる。」
声になったか分からないその声が
いつまでもいつまでも
僕の心に色をつけた。
僕は今日までの日を
これからもずっと忘れない。
星になっても、人になっても、
きっと、ずっと。