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Report_3 Norwayで教師になるのは大変?!

Report_3[Norwayで教師になるのは大変?!]

Norwayの先生たちの雰囲気はどこか日本とは違う。

それが何なのかはわからない。1人ひとりの先生にどういう経緯で、先生になったのか聞いてみたらつかめるかもしれないと思い、それぞれの先生に

「どうして先生になったの?」

「先生になるにはどうしたらいいの?」

と訪ね歩いてみた。

1人目は、レストラン・調理科のシェフの先生。StudyTour1日目、Fusa高校に到着して最初に話した人だ。白人で身長は185cmくらいで屈強。ちょっと強面で、右腕にはタトゥーがびっしり。金髪ロン毛でいかにも自信に溢れ、学生をグイグイ引っ張るイメージ。

「もともとはオスロのホテルやレストランでシェフをしていたんだ。作るだけじゃ物足りなくなって、若い人たちに教えたいと思ったんだ。

4年間教員になるために大学に入り、平日はレストランで働き、金曜日午後にベルゲンにわたって大学で授業を受けるんだ。授業が終われば土日は実習だ。大学が終わった後も、2年間ほど実習を積んで教員になったんだ。」

「なんで若い人に教えたいと思ったの?」

「食べに来てくれる人たちを満足させるのだけでは満足できないだろう?だったら、若い人たちに教えるのがいいじゃないか。なんで教えるかって?教員はそういうものだろう?」

2人目は、Fusa高校の養殖科のBjarte先生。読み方はビャッテのような、難しくて聞いてもわからなかった。Austevollのフェリー港までバスで迎えにきてくれた人。ハリーポッターの猛獣使いのハグリッドみたいな人。身長は165cmくらいでずんぐりむっくりな体型。握手をしようと右手を指しだすと、ビャッテは左手を出してくる。彼は右手を2歳のとき、実家のパン工房で練機に手を巻き取られて失った。

「小さいころのことで覚えてないんだよ。両親は悲しんだけど、俺からすればこれがずっと当たり前だからね!ガハハ!」

と笑っていた。漁業・養殖課の先生でとっても器用。片手で網だって編めるし、エビの皮だって剥ける。

「前はこの島の食品工場で働いていたんだ。32歳のときに、教員になりたいと思って教員課程に入ったんだ。6年かかって資格をとって2年くらいもう一度働いてから学校に入ったんだ。」

「どうして教員になったの?」

「教員にはなりたいものだろう?教員はいい仕事じゃないか。」

3人目と4人目はまとめて。Austevoll高校の教科主任で元校長のTorJohannsen先生と、Fusa高校の養殖科教員で元校長のRoy先生。2人とも元校長で、学校のことも漁業のこともなんでも知ってるものしり。60歳近くでとても落ち着いた雰囲気で、いつでも高校生に話をしたがる。

「みんな、船員になるだけでは十分ではない。船員は、よきリーダーにならなければいけない。そのために必要なことを2つ教えよう。1つは、周りの人とよく話すこと。自分だけのことでは不十分だ。みんながどんな気持ちで働き、どうなりたいのか、リーダーはコミュニケーションをとって互いに理解しなければならない。もう1つは、、、、、」

と、漁船でいきなり語りはじめたり。

「私たちは理論と実践の両方をとても大事にしている。とくに1年生にはたくさんの経験をしてもらいたい。経験なしに、取り組みたいと思えることはわからない。やる前に決めるのではなくて、取り組んでみてから”違った”と思うのはいい。とにかく現場にでて考える。考えたことをもとに理論を学ぶ。学びは、知っていることとは違う。理論だけ知って卒業しても生きていけない。」

と教育について振り返りの時間に語り始めたり。

実はこの2人、ベルゲンの水産系企業の同僚で上司・部下の関係だったらしい。2人とも校長を務めたあと、

「もっと学生と関わりたいと思って、教えられる役職にしたんだ」と、根っからの先生でした。

どうやら、どの先生も一度企業で働いた経験がありそう。大学を卒業してそのまま教員になった人とは会いませんでした。きっと、Norwayにおける習慣なんでしょう。

そして、先生・教員という仕事へ就くことの難しさ、憧れを感じた。教員にだれもがなりたいと思えて、でもなかなかなれない。なるまで大変だけど、それでもなりたい。学生に教えるということは、とても尊いんだという感じがした。

先生は役割でありつつ、人としてのあり方も先生だった。上から目線ではなく、学生と対等に学び合う。その眼差しが愛でしたね。

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柳澤龍
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