意図はインフラのように
その信号機の待ち時間は少し長く、その商店街にチェーン店の面影はない。その橋からは無数の線が伸びており、その先にはやけに丁寧に舗装された、しかし誰も通らない道路がある。競艇場。その中のコンビニの品揃えは、やけにアルコールの類に偏っていた。
大抵の街は、画面を見ながら歩く。この通りに同じチェーンのコンビニが2個も立ち並んでいるなんて、10数年暮らしてきたのに今の今まで気づかなかった。そもそもコンビニなんて前から建っていただろうか。とはいえ代わりに何があったかなんて検討もつかないが。
蛇口を捻れば水道管から水が出ることに、疑問を持つのは難しい。その街の信号機の待ち時間の長さに、なぜを見出すのは難しい。
もしそこに理由があったら、その理由が生まれるまでに、誰が何をしてきたのだろう。街を作った誰かが、信号の一つ一つの待ち時間の長さを検討し、見分、あるいは計算を重ねその経験で構築したのかもしれない。もしくは誰かが事故で亡くなり、誰かが訴えかけてその信号の待ち時間は変わったのかもしれない。
なぜを見出せても、意図を汲み取ることは難しい。その水道管から、水源までの道のりを辿るのは難しい。
意図は街に深く潜って絡まっている。水道管のそれと同じように。