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ザワザワするのも私の個性ーー【書くこと、暮らすこと】前編:言葉に助けられ、物書きを目指した日のこと(小説家・土門蘭さん)
ブラウザには改めてwebページを開き直す手段が満載で、ネット記事を読むのもつい後回しにしてしまう。
ようやく開いたのも家事の合間。「ライティングコミュニティでおすすめされていたから!」と勢いで開いたままのタブに気づいたタイミングだった。
内容は『書くこと、暮らすこと』をテーマにしたインタビュー記事。「合間にサクッと読めたらいいなー」と思って読み始める。途中で家族から声をかけられて、「あ、これは合間に読むものじゃなかった」と思った。
読み進めていると、「私の話…?」と一瞬困惑するような文章が目に入ってきた。
自分が特別と言いたいわけでは全くないのですが、どこか馴染めていない、少しはじかれている感覚は今も残っています。
自分だけの世界に入り込むほどに没頭していたからかもしれない。人ごととは思えなかった。
馴染めていない感覚は私にもずっとついて回っていて、昔から拭うことができていない。
人に合わせないようにしたかった
明確に認識したのは中学生くらいだったと思う。最初はただ相手に合わせてしまって、自分が埋没するような感覚だった。だったら関わる人を変えればいいのかと気づいて、関わる相手や集団を変えるようにした。
しかしそれでも馴染めていない感は消えない。自分が好きな集団にいても。
だから2人で話したり、みんなが楽しそう話しているのを後ろから眺めたりしてみた。人の様子を見るのは好きだったから、それなりに楽しい気分を味わえたとは思う。輪の外から見ることで、馴染めていない感は意識せずに済んだ。
好きな集団に所属する度に輪の中に入って行きたくて、挑戦してみる。でもやっぱり馴染めていない感は変えられず、「ああ、ここでもか…」を繰り返す。
些細なことに心が揺れ動いた瞬間
繰り返しによって、一生馴染めない感が続くものだと思い、暗い気持ちをまとって生きてきた。しかし次の文章が、私をハッとさせる。
そうして心が揺れ動いた瞬間、私の中に言葉が生まれていることがわかってきました。それを捉えると、よい文章になる感じがあって。
そのせいで毎日がつらい時期もありました。嬉しかろうが悲しかろうが、心が動くことって、しんどいですからね。ただ、書き続けるうちに、心が動くことそのものは全く悪いことではないと確かめられたんです」
集団の中で人と関わると、ザワザワした不安が起きてしまう。だから馴染めていないように感じてしまう。
でもそれは、心が動いている証なんだろう。
言われてみれば、印象に残っている出来事にはいつも、心が揺れ動く瞬間があった。
中学生のときのこと。雨に打たれながら歩く友人に傘を貸したことがあった。その子はいつも明るくふざけているタイプ。真顔はあまり見ない。
私は後ろから駆け寄って、「傘使いないよ」とか、そんなことを言ったのだと思う。その子は新種の生き物でも見たかのようにビックリしていた。驚いたのはむしろ私の方で、「あ、笑顔以外にこんな表情もするんだ」と思った。
なんとも失礼な話であるが、当時の私がそう思ったのだからしょうがない。
こんな些細なことも、私の心が揺れ動いた瞬間。
ザワザワしてもいいかもしれない
改めて考えると、私のザワザワした不安は、「変な話しちゃってるな」とか、「嫌われる振る舞いをしてしまっているな」という気が拭えないところからきている。私にそれを回避する術は今のところ見つかっていない。
だって、3人で話しているときに、他の2人の会話にムムッとくることありませんか?自分が人をムムッとさせるの、嫌じゃありませんか?嫌だったら黙ったり、話を合わせたりして、己を消したりしませんか?
だからまあ、集団にいながら不安を回避する方法はないのだろう。たぶん。
しかし安易にザワザワするくらい、私の感情はすぐに動いてくれる。些細な話を覚えていられるのも、そのおかげかもしれない。
そういう表裏一体も悪くない。素敵な個性だ。
だから、ザワザワしてもいいかなと、心がちょっと軽くなった。